ROCK CD & DVD BUYER'S GUIDE III

一応、風景写真がメインです

地震から逃れられない国(3)

(2)のづづき

懐中電灯で辺りを照らした。防災グッズとして懐中電灯は一番の必須だろう。
これがなければ、夜に地震が起こった場合に何が何やらさっぱりである。

細かな家の状況の把握はおいといて、とりあえず僕は玄関に真っ先にいき、鉄扉を開けた。
地震により、扉が開かなくなり逃げ場を失う可能性があるからだ。
扉を開けた状態で固定し、家族に避難を促した。ちなみに僕が住んでた団地は中高層住宅と呼ばれるもので5階建てでエレベーターはない。僕らは5階に住んでいた。
「はよ下に降りよう!次の地震がくるかもしらんでっ!」玄関で叫んだ。
・・が、家の中からの反応は鈍い。
「もぉ~、ちょっと寒いわ。なんなんよ~」「閉めて~や~~」
いや、寒いなどと言ってる場合ではない!!うちは5階だ。次に大きな余震が起こったとしても簡単に逃げれるとは限らない。既に火災が階下で起こっている可能性もある。
「ええから、早く下に降りなっ」
「もぉええって。寒い。はよ玄関閉めて~な」

こいつらはダメだ。もう説得を諦めた。勝手に死んでくれたらいい。身内とはいえこちらまで死に付き合うことはない。
「先に降りとくぞっ!」という言葉を残して、1人下に降りていった。

地上から辺りを見渡した。住んでたところは巨大団地群である。50棟以上が建ち、数千世帯が住んでいた。
団地の棟と棟の感覚は比較的広い。万が一倒壊しようが避けられるだけのスペースはある。
薄暗い中、周辺の団地を凝視した。停電しているので当然、各家庭の窓には光は灯っておらず、団地は何れの棟も真っ黒な四角い物体となっている。幸い火が上がってないようだ。パジャマ姿の上にジャンパーみたいなものを羽織っているだけの状態なので結構寒い。

うちのアホ家族だけでなく、ほかの世帯も殆ど避難する気配がない。
こやつらは火事とか余震とか怖くないのだろうか?
10分以上外にいただろうか。大した余震も起こらず、火の手も上がってないようなので、とりあえず、そそくさと5階に上がって自宅に戻った。
なんか結果的に、僕だけ小心者のダサダサ人間みたいな感じになってしまったが、これは絶対僕のほうが正しいと確信している。もうちょっと他のもんは危機感をもつべきである。
僕が自宅に戻るとすぐ、また鉄扉は閉められていた。これは絶対に譲れん。「寒いやん~~!」の声を無視して、鉄扉は全開にしておいた。

懐中電灯で家の中を照らした。食器が散乱している台所は細かいガラスの破片などもいっぱいだ。
この場合、スリッパなどで歩いたりせず、もうスニーカーや革靴などで歩いたほうがよい。
スリッパでは心もとない。ハダシや靴下で歩くのは論外であろう。(といっても僕はそのとき、ハダシで歩き回っていたが)靴で歩けば、どんな鋭利なガラスの破片があろうが、まず怪我には至らない。

うちで飼っていた十姉妹のかごはまっさかさまにひっくり返っていた。数羽のうち、年老いた十姉妹は絶命していた。ショック死であろう。水槽の金魚も死んでいるのがいた。

さて、このような災害時でマニュアルどおり行うならまずラジオをつけることだろう。
地震発生時から僕の頭のなかにあるのは竹内氏から聞いた南海地震であった。
恐らくその地震が起こったのだろうと確信し、大阪や特に和歌山あたり甚大な被害を被っているに違いないと思いつつ、ラジオのスイッチをいれた。
発信元はMBSラジオ、大阪の局である。地震の情報が流れてきた。

「え~~、先ほどの地震で被害に遭われた方の情報が入ってきております。大阪の○○で女性が玄関先で転倒し、捻挫した模様・・・」

(4)へつづく。