ROCK CD & DVD BUYER'S GUIDE III

一応、風景写真がメインです

広島原爆死没者慰霊碑の主語

平成最後の終戦記念日では天皇陛下が今年も反省の意を表しておられましたが、しばらく政権を続ける意向の安倍首相はまたも反省には触れませんでしたな。
このオッサンがサヨク、リベラル連中に嫌われるのはこういうところです。
先の戦争を日本人が語る際、どう考えてもあまりに杜撰でめちゃくちゃな戦争ゆえ、反省の弁がまずありきでしょうよ。

突然、話は変わりますが広島の平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑についてです。

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公式には「広島平和都市記念碑」というらしいですが、これの碑文は日本人なら誰でもご存知でしょう。

「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」

なぜに原爆を落とされた被害者として、その過ちについて米国なりなんなりの主語をつけないのか??ってなアホ丸出しのことをぬかすやつがいますが、当然その理由は言わずもがなでしょう。この碑文はそんな低い次元のことを述べているのではない。

広島市のHPでこの碑文についての説明があるので一部を引用します。

この碑文の趣旨は、原子爆弾の犠牲者は、単に一国一民族の犠牲者ではなく、人類全体の平和のいしずえとなって祀られており、その原爆の犠牲者に対して反核の平和を誓うのは、全世界の人々でなくてはならないというものです。

また現地には以下のような説明のプレートが設置されています。

この碑は 昭和20年(1945年)8月6日 世界最初の原子爆弾によって壊滅した広島市を 平和都市として再建することを念願して設立したものである
 碑文は すべての人びとが 原爆犠牲者の冥福を祈り 戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である 過去の悲しみに耐え 憎しみを乗り越えて 全人類の共存と繁栄を願い 真の世界平和の実現を祈念するヒロシマの心がここに刻まれている
 中央の石室には 原爆死没者名簿が納められており この碑はまた原爆死没者慰霊碑とも呼ばれている

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米国による広島、長崎への原爆投下は当然ながら戦争犯罪に他ならないですが、日本人は先の戦争においては原爆や空襲など無差別殺戮の被害者である前に加害者であることを念頭におかないといけません。
もちろん、「加害」というのはアジア各国に対してです。
一部の右翼連中は「侵略戦争」であることを否定しますが、明らかに日本の歴史上ゆかりのない地に日本の軍隊は侵入しておるわけで(逆にどの国も日本の古来の領土に侵入していない)、当時日本はいろんな理由付けはしていたようですが、これが侵略戦争でなければどれが侵略戦争なんだって話です。

米国の日本各都市への空襲による無差別殺戮は非道な行為ですが、そもそも日本はそれより前に中国重慶で空襲をやっております。被害の規模は比較にならんでしょうが、無差別殺戮の空襲を先にやってるのは日本人です。

日本においても原爆を作る計画はありました。
広島に原爆が投下された後、阪大の教授かなんかの専門家が現地を調査してその惨状を軍の上層部に報告するわけですが、「我が国も早く原爆を完成させろ」ってな馬鹿げたことを言われた記録が残っています。
もちろん、日本が仮に原爆の完成にこぎつけて、それを米国に輸送する能力が当時あったならば迷いなしにニューヨークなどに投下していたはず。
明らかに当時の軍部はアメリカ以上のモラルのない鬼畜です。

先の大戦では短期決戦以外に勝ち目がないことは開戦前から把握していたにも関わらず、何の根拠もない、何も見通しのないなか、10代やそこらの子まで特攻させ、沖縄を壊滅させ、広島、長崎に原爆まで落とされるまで戦争を続けます。
その結果、終戦までに民間人含め310万人が亡くなり、多くの重傷者が出て今現在も苦しんでおられる方がいるわけです。

アジア各国への反省のみならず、そもそも自国民にこれだけの被害を与えた先の戦争について反省、総括がなければ「また同じ轍を踏むのか」と左派から疑われるのは当たり前の話です。

今後、実際に戦争の経験された方たちがますます減っていくなかで、ホンマ残ったものたちはもうちょっと真摯に近代における戦争について勉強せなあかんでしょう。

惨たらしい被害を受けた被爆者の方たちが原爆投下からわずか7年しか経っていない1952年にこの主語のない碑文を受け入れたのは自分たち日本人にも加害者としての側面があったから、もしくは今後において誰しも加害者となりかねないことを拭えなかったからではないでしょうか。

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(2014/09/07 05:56)

上の写真は平和公園における普段の早朝のようすです。
地元の方が次々と散歩を兼ねて手を合わせに慰霊碑へこられます。