ROCK CD & DVD BUYER'S GUIDE III

一応、風景写真がメインです

長島一茂・克服したパニック障害とうつ病

今日の夕方、読売テレビで「黄金列伝」というローカル番組が放送されました。
不定期で放送されてるんですが、吉本の芸人を中心にいろんな芸能人を毎回1人(1組)ゲストに迎えてその人(またはコンビ、グループ)たちのこれまでの半生を振り返ってもらうという内容でして、普段は楽しそうに見える芸能人たちも壮絶な人生や経験を経ていることを知ることができる良質のバラエティ番組です。

今日のゲストは長島一茂氏だったのですが、最近は番組の共演者からも「ポジティブになった」と好評で、いろんなバラエティ番組などにも出演することが多くなってますが、実はつい数年前までパニック障害の発症から重度のうつ病になってしまい、相当苦しんでいたことを番組内で告白していました。
同じような病気で苦しんでいる方も多いかと思うのでちょっとその告白していた内容を記しておきます。



一茂の父親は言わずとしれた国民的スーパースター・長嶋茂雄
その父親をもったためか、自分はプロ野球選手になりホームランバッターになるのは当然のことと幼少期から自覚していたという。
そのため、自然のながれで小学1年からリトルリーグに入るものの、当時監督だった長嶋茂雄の背番号90番のユニフォームを着せられ、自分はピッチャーをやりたかったにも関わらず、サードを守らされたという。
マスコミは連日殺到、小学生の一茂に対して大人たちは何かと父親と比較、チームの広告塔、あるいは見世物状態であることに嫌気が差し、わずか1年ほどで野球を辞めることになる。

父親は殆ど在宅しておらず、一茂は完全なお母さんっ子であると同時に母方の祖母にもかわいがられ、また当時はお手伝いさんが自宅にいたので、そのお手伝いさんも母親代わりのごとくよくしてもらったという。
当時の小学校の同級生によると、一茂は陽気でポジティブな性格だったといい、野球が好きで父親に尊敬の念を抱いていることは言葉の端々から感じられたというが、結局中学に入っても野球をすることはなかった。

しかし、野球選手への夢は捨てきれず、高校に入ってからやっと野球部に入って本格的に練習、立教大学へ進んでスワローズのドラフト1位としてプロ野球選手へと夢を叶える。
だが5年在籍するもの成績は思うようにいかずスワローズの監督だった野村克也の提案で当時長嶋茂雄が監督をしていた巨人への無償トレードとなる。

巨人在籍中は監督と選手という間柄、他の選手の目を気にして父親との会話は「おはようございます」「お疲れ様でした」程度で他に会話することはなかったというが、トレード後も成績が伸びない中、現在の奥さんとのデート中のレストランで過呼吸に陥る。
パニック障害だった。

野球の練習どころかマトモに外出もできなくなってしまう。
そんなある日、父親である監督に呼ばれ「来年からは戦力外だ」と告げられる。
これが巨人在籍中の4年間で交わした父親との唯一のマトモな会話であり、結局病気のことは長嶋茂雄に話したことはなかったという。

近鉄の当時の佐々木監督から「うちにこないか」と声をかけられるも、病気の状態が酷いために選手継続を断念、引退を決意する。
その直後、「おまえ、俺の番組に全部出ろ」と真っ先に声をかけてきたのが明石家さんまだった。

そのおかげで1年目からタレントとして大成功するも症状は改善せず、酷いときは番組収録中にスタジオから出ることもあったという。
パニック障害のことはMCであるさんまにだけ告白していたが共演者には内緒にしていたといい、当時の共演者の関根勤も病気のことは今回の番組のインタビューで初めて知ったという。飛行機や電車は殆ど乗れず、極力それらを避ける日々が続く。

その後、結婚、そして双子の女の子の出産と嬉しい出来事が続くも病気は改善しない。
そして42歳のときに人生のどん底が訪れる。
まずは当時も付き合いがあったという母親代わりだったお手伝いさんが亡くなり、祖母、そして実母と数ヶ月の間に立て続けに亡くなったという。
愛する3人の女性を一気に失った一茂はパニック障害から今度は重度のうつ病となってしまう。

毎晩夜中3時に汗だく状態で目が覚め、「おまえは死ね」「死んでしまえ」という幻聴が聞こえてくる日々。
昼間もベッドからなかなか抜け出せず、番組収録開始時刻の1時間前になってようやくベッドから出るという状態だったという。
ただし、仕事中は余計な雑念から逃れられるので仕事自体は苦痛ではなかったというが、その仕事に行くまでの時間を苦しみ続けた。
毎晩包丁を握りしめて自殺ばかりを考えるも、寝室で寝ている奥さんと双子の娘さんを見ることでギリギリ自殺を食い止めていた。

そういう地獄の生活が続いた4年後、もう人生の全てを諦め、「神様、早く俺を殺してくれ。トシさん(お手伝いさん)、おばあちゃん、おふくろのもとへ連れてってくれ」と毎朝自分が死ねるよう神に祈りはじめた。自分が死んでも娘さんたちの養育費くらいは残していたので現世に対する未練はあまりなかったという。
もう死ぬ覚悟を決めたゆえにそれまでずっと服用していた薬も全てやめた。

この自分を一切捨てて死の祈りをはじめてしばらくすると気が楽になり、うつ病は改善していったとのこと。
一度「死んだ」人生ゆえに現在は誰からどう思われようが何も気にしなくなり、一日一日が感謝の日々だと語る。



先日、同じようにパニック障害うつ病を長年患う私の知り合いの女性が自殺を図りました。
一命をとりとめたのが幸いでしたが、本当に同じような病気で苦しんでいる方は多いかと思います。
現在経験がない人も私を含め今後も発症しないとは限らないでしょう。

幼少からノーテンキな感じで陽気な性格だったと友達からも思われていた一茂氏ですが、彼はやはり周辺から常に父親と比較されることに相当なストレスがあったのは疑いようのない事実です。タレント活動をはじめてからも「バカ息子」と冗談で揶揄されたりしますが、ノーテンキでもバカでも全くなく、非常に繊細な性格の方なのだと思います。

うつ病の原因となるストレスというのはやはり「人からどう見られているか」「自分と他の人間との関係性・比較」を意識することから増幅することが多々あるようです。
例えば、集団から隔離された檻にいるゴリラなんかはストレスが激減するといいます。
気の合わない余計な人間との付き合いを避けるのも大事な手段でしょう。
ヘタな友人と遊ぶよりも私のようにひとりぼっちであちゃこちゃ行くほうが気が楽な部分もあるかと思いますw

私の知人を見ていてもそう簡単に治る病気だとは思いませんが、どうか病と闘っている方々は病気とうまく付き合って諦めないで欲しい。
ちなみにこれらの病気も老化とともに脳の信号が鈍感になり、改善していくという研究結果もあるので、慰め程度ではありますが長生きすれば何れはよくなると思ってもらいたいものです。