ROCK CD & DVD BUYER'S GUIDE III

一応、風景写真がメインです

アメリカの京都原爆投下計画と投下目標地点

広島・長崎に原爆が投下されてから72年が経ちました。
長崎が土壇場になって投下目標にされたことは知られてますが、広島と同等の最高ランクレベルで投下目標になっていたのが京都市です。

京都市は空襲がなかったことで知られてますが、厳密に言うと京都でも戦時中に爆弾が落ちたことはあります。しかし、他の大都市に比べて圧倒的に少なくほぼゼロと言っても過言でないのは確かです。
私たちは幼少から京都市街地が米軍の空爆対象にならなかった理由として「京都の文化、歴史的財産の保護のための配慮」なんてなことを大人連中から教わってきましたが、これが殆どデタラメであったことは今や常識になりつつあります。
なんせ最後まで最高ランクの都市として候補にあがってたくらいですから原爆を投下した場合の威力を見るのを前提に爆弾を落とさなかったと見るのが筋でしょう。

昨年は関西ローカルやNHKスペシャルなんかで京都の原爆投下計画についてその詳細を放送していました。
当時のレスリー・グローブス准将という原爆計画の責任者は最後まで京都への原爆投下に拘ったといいます。
京都市の中心部に投下した場合、その影響範囲の丁度外側に山があるため、その盆地の地形が爆風の収束効果なんかで非常に適しているという理由です。

その投下目標位置も資料で残っていまして、現在明らかになっています。
下の画像の位置です。

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今の京都鉄道博物館ですが、戦前からある機関車の転車台です。
線路が放射状に伸びているので投下目標としては一目瞭然で最適だったのでしょう。

その京都への投下を断固として反対したのが陸軍長官のヘンリー・スティムソンという人で、京都へ数回行ったことがあるという知日派の人でした。
この人の主張で京都への投下はギリギリで避けられたものの、その代わりに長崎への投下に繋がったかもしれず、それが良かったどうのこうのと言えるものでもありません。

京都へ投下されれば、当時この投下目標の梅小路すぐ傍の島原に住んでいた私の祖父母は瞬殺されていたはずで私も100%生まれていなかったはずです。
ここ数年、私は京都の古い建造物を撮影したりしてます。京都はちょっとの判断の差でこれらが戦災から免れましたが、東京や大阪含めいろんな都市においては空襲によって貴重な歴史的建造物や文化遺産が多く失われたんでしょう。

何より多くの国内の民間人が亡くなったわけで、日本にこのような悲劇が二度と起こらないようにするにはどうすればいいのか我々も次の世代も考え続けなければいけません。
間もなく72回目の終戦記念日を迎えます。

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投下目標だった転車台(2015年当時の梅小路蒸気機関車館にて)