ROCK CD & DVD BUYER'S GUIDE III

一応、風景写真がメインです

東日本大震災・大川小訴訟で学校側の過失を認定

石巻市には震災後、ボランティアを含めて3度行ってますが、いろいろプランを立ててみるも結局行けなかった場所が石巻市内にある大川小学校です。

市街地から非常に遠く、車がないとなかなか厳しいのが主な理由です。もひとつ、当然現場に行ったとしたら私は一眼レフで撮影することになりますが、現地で観光客が写真を撮るなどの行為に対して不快に思っている遺族がいることも報道で聞いているので気が進まないのもあります。

地震発生時に大川小にいた78人の生徒のうち、助かったのはわずか4人。
東北の被災各地で悲惨な現場がありますが、これほど多くの小学生の子どもが亡くなったということで他に類を見ない場所です。



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グーグルマップを張りつけてみましたが、大川小の位置関係はこのような感じです。
海岸から4キロ近く離れており津波の予見はできたのかが争点になりました。
ちなみに震災前のハザードマップでは津波の浸水地域から大川小は外れています。

ネットでは訴訟に対して「石巻では大勢の人が亡くなっているのに何故自分たちだけ多額の金を貰おうとするんだ?」「津波被害は結果論だろうよ」みたいな批判的な意見も結構多い。
東北の被災地では幼稚園や自動車教習所、銀行や役所などの職場の管理下で亡くなった方の遺族が相次いで訴訟を起こしてますが、確かに中には「それは結果論でなんでもかんでも他人のせいにするなよ」ってな感じのも含まれてます。
しかし、大川小はとてもじゃないがそれは当てはまらんでしょう。

現場には行けていませんが、今は便利なグーグルのストリートビューがあるので確認できます。

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旧大川小です。
この小学校の建物を残すかどうかも地元で結構揉めています。
小学校の卒業生をはじめ「遺構」として残すことを求めていますが、正直なところ今回の悲惨な出来事はこの建物と関係のないことなので個人的にはちょっと疑問です。

写真のように学校のすぐ傍に山があり、校庭から走れば1分ほどで到達できるようです。

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学校側(写真左の建物)から県道を南下した先に北上川にかかる新北上大橋があります。
地震発生から40分以上も生徒たちを校庭に待機させた後、石巻市の広報車による津波到来の警告を聞いてのことか、大川小の教師たちがやっと避難先に決めたのがその大橋の東詰めです。
すぐそこの裏山への非難を辞めた理由として山の崩落を考えてのことといいますが・・。

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確かに橋の付近は高くなってますが、わずか標高7メートルほどということで全くの気休めです。
しかも津波がくるのであれば、川幅のある北上川を遡上してくるのは当然のことですが、その川に近づいていくという全く理解不能な避難行動です。
これは結果論とかいうレベルではない。
生徒たちはそこにたどり着く前、恐らく上の写真位置から小学校寄りの区間北上川を遡上した津波に襲われることになります。

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避難しようとした位置から小学校を望む。

生き残った生徒の証言によると、生徒の中には裏山への非難を教師に提案した子もいたそうです。
それでも教師が橋へ引率するとなるとそれを拒否することはまず無理でしょう。
教師たちも殆ど亡くなっているので(11人中助かったのは1人)いい加減なことはいえませんが、まともな判断力とリーダーシップのある人間がいれば全ての生徒は助かっていたのは確かです

ただ、なんでも現場の人間に責任を負わせるのは酷です。
やはり石巻市の責任が大きい。
「釜石の奇跡」なんかにもあるように、行政がしっかりしていると教師のみならず生徒たちが自分たちの判断で最善の判断を下すことが可能であることを示しています。
それと比べると石巻はあまりに疎かと言える。

今回の想定外の津波でもわかったように沿岸から5キロ程度離れているからといって津波と無関係ではありません。
しかも近辺に川があるとそれ以上の距離を遡上して付近を壊滅するだけの威力があります。
沿岸から5キロ以上をも想定するとなると、全国のあらゆる街が想定範囲内に入ってきます。
自治体や学校のみならず、我々も今回を教訓として津波を想定した避難経路を事前に確定しておく必要があります。