ROCK CD & DVD BUYER'S GUIDE III

一応、風景写真がメインです

「はだしのゲン」作者・中沢啓治氏死去

忘れもしない、小5の時です。
小学校で授業中に度々学年全員を体育館に集めて映画が上映されまして、それが結構楽しみやったわけですが、そこで見せられたのが「はだしのゲン」の実写版です。
 
はだしのゲン」の内容をうる覚えながら簡単に説明します。
戦争中であったものの家族5人で仲睦まじく生活をしていたゲン。そのゲンってのは中沢氏の自分を投影させた主人公です。
ある日、遅れ気味に小学校まで通学していると、学校前で婦人に話しかけられた。その夫人と話している最中にとんでもない光とともに爆風に襲われる。もちろん、それが「ピカ(原爆)」だったわけですが、ゲンは偶々塀の影になっていたせいか、崩れた塀の下敷きになるものの大した怪我もない状態で立ち上がります。するとさっきまで話していた婦人は全身やけどの血まみれになった状態で絶命している。
 
何が起こったのか全然わからないゲンは、とりあえず急いで自宅に向かうもその道中の光景は恐ろしい地獄絵図。
全身が真っ黒に焼けた死体があちらこちらで転がっているのもさることながら、辛うじて生きている人たちも全身が殆ど裸みたいな状態で髪の毛も縮れ上がり、男性か女性かもわからないような状態。腕の皮膚は肩から全部めくれて、それが指の先からぶら下がり、誰もが幽霊のようにそのぶら下がった皮膚が地面につかないように腕を前に出して呻きながら歩いてる。
 
やっとの思いで自宅付近に戻るも、家はぺしゃんこになっており、お母さんが下敷きになっている家族を助けようとしていた。お父さん、弟、お姉さんが屋根の下敷きになっていて、お姉さんは既に動いていない状態。
お父さんと弟さんは生きていて意識があるものの体が屋根などに挟まって抜けられない。
 
ゲンは一生懸命、屋根などのがれきを持ち上げようとするもビクともしない。
そうしているうちに火の手が上がり、崩れた自宅にも燃え移る。
弟は手に軍艦の模型を持っていた。ゲンが学校から帰ってきたら一緒にそれで遊ぼうと約束していたもの。
「お兄ちゃん助けてよ~熱いよ~~」と弟は叫ぶがゲンはどうにもできない。
お父さんは「お母さんを連れて早く逃げろ」と強い調子でゲンに怒鳴りつけた。
ゲンは弟が泣き叫ぶ声を聞きながら、お母さんを強引に引き連れてその場を逃れた。
 
この亡くなった弟やゲンなんかが当時の自分の弟や自分と似たような年齢だったので、自分の弟が目の前で火に巻かれることを想像するとそれがあまりに恐ろしく、私はスクリーンを殆ど直視できなませんでした。その映画のなかのあまりに恐ろしい世界から逃れようと、閉めきった体育館の黒カーテンの隙間から漏れてくる外の太陽光と青空を見つめて、必死で逃避しようとしていたことを今も鮮明に憶えています。ホンマ、それくらい恐ろしい地獄絵図だったんです。
この実写の映画のインパクトが強すぎて、漫画の方は怖いあまりザッとしか読んだことがありません。
 
私たちは確かその次の学期にも、戦後直後のゲンを描いた続編も見せらました。「ピカの子」等と言われて差別される場面などがありました。
当時は放射能に対する知識が誰にもなかったでしょうけど、今現在これだけ情報が反乱しているにも関わらず、福島から避難した子どもをはじめ大人に対しても、「診療の謝絶」や「学校でのいじめ」などがあったのは事実のようで、本当にどういうバカがこの日本にはいるんだと強く憤りを憶えます。
 
ゲン・・というか中沢さんのお父さんは画家だったのですが、当時としては珍しく戦争に真っ向反対されていた方で特高警察にしょっぴかれた経験もあったようです。
そのお父さんが生前にゲンに言っていた、
踏まれても踏まれても、たくましい芽を出す麦になれ
この言葉を胸に生き抜いていきます。
 
最初に見たゲンの映画のラスト。視界の範囲が全て瓦礫のみで、延々と全く色がない広島市内の風景が引いた画で出てきます。これは小5当時、どうやって撮影しているのかと不思議なくらいにリアルな映像でした。
ゲンはその瓦礫の間から芽生えていた麦を見つけて、映画は終わります。
 
死後の世界があるとするならば、ゲンは5人そろったご家族と再会し、65年以上の歳月を経てやっと弟さんと一緒に軍艦の模型で遊んでおられることでしょう。
 
中沢さんはじめ、原爆で亡くなった方々に対して改めて心からご冥福をお祈りいたします。
 
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     (2012/12/25 毎日新聞より)