西本願寺・祖母とある学生のお朝事(2)
次の日もその次の日もウチの祖母はおらず、高齢ということもあり心配してくださったTさんは祖母の知人にその理由を尋ねられた。すると、風邪をこじらせたとかで祖母と同居している叔母が暫く休むように薦めたんだという。
それを聞いた都路さんは「ようやくおわった!ラッキー!!」と思われ(?)、次の日からぱったり行くのを辞めたんだそうな。めでたしめでたしw
それを聞いた都路さんは「ようやくおわった!ラッキー!!」と思われ(?)、次の日からぱったり行くのを辞めたんだそうな。めでたしめでたしw
寒い中大変であったものの、辞めてみてから気づいたことがあったんだそうです。
それは通っていた時はただ参加することだけに必死だったので分からなかったらしいのですが、改めて振り返ってみると「仏さまに自分が見守られている中で一日の生活をしているように感じていた」とのことです。
毎朝仏さまの眼差しをもらい、その後の昼間の普段の生活をしている時にもそれを感じつつ、晩に寝る頃にはそれは忘れそうになってしまうものの、また次の朝に仏さまを体で感じるためにお朝事に行っていた・・ということに気づいたとおっしゃいます。
更に数年の月日が流れた平成19年、Tさんに私の祖母が一昨年に亡くなったということが人を介して伝わります。
その最期がどんなようすだったのか気になったTさんはわざわざ叔母との接触を図ってくれました。ホンマに何ともありがたい話です。
その最期がどんなようすだったのか気になったTさんはわざわざ叔母との接触を図ってくれました。ホンマに何ともありがたい話です。
祖母は平成17年1月16日に満90歳で亡くなったのですが、その2日前の14日までは相変わらず毎朝晨朝に通ってたようです(私はその辺はよく知らずTさんの話によるとですがw)。15日に体調を崩して晨朝を休み、その次の日の朝に脳梗塞で突然帰らぬ人となってしまいました。
私は実はこの年の正月、いつもなら行くはずのおばあちゃんのところに行っておらず、日をずらして1月中にでも行く予定をしておりました。正月に行かなかったことが悔やまれたのですが、電話では新年のi挨拶をしておりました。その時、「以前よりはほんのちょっと会話が噛みあいにくくなってきたかな?」というのはありましたが、まぁ普通に元気だったので、まさか亡くなるとは予想だにしてなかったのです。
突然の死であり、ショックではあったものの「大往生」という思いもあり、極端な悲しみとかは私にはありませんでした。
死後の世界があるのかどうか知りませんが、この亡くなった日付については祖母本人にとってもこの上ない光栄なことでしょう。
また次の年の1月16日にも晨朝に行かれるのですが、その前日にも叔母と連絡をとってくれたんだそうです。
すると叔母はTさんに「お渡ししたいものがある」というんですな。それは祖母が冬の晨朝で使っていた「紫のショール」でした。
祖母が亡くなったのはTさんと晨朝に行ってた頃から5年以上が過ぎた頃なんですが、祖母は亡くなる直前までTさんの話を叔母にしていたといい、このショールはTさんに持っていただくべき物だと叔母は思ったようです。
そのショールを持ってTさんは1月16日に晨朝に行かれました。晨朝がはじまる時間の京都はまだ真っ暗です。薄暗い本堂にて、8年前の親鸞上人の命日の日に祖母と一緒にお参りしていた状況を思い出されたようです。
8年前、当時20代半ばの学生さんだったTさんと祖母は隣り合わせで座り、その祖母の膝には紫のショールがありました。そのショールが8年経った今、Tさんご自身の膝の上にあることを思った時、Tさんの目から涙がポロポロと溢れ出し、その涙のなかでお参りをされていたとのことです。
8年前、当時20代半ばの学生さんだったTさんと祖母は隣り合わせで座り、その祖母の膝には紫のショールがありました。そのショールが8年経った今、Tさんご自身の膝の上にあることを思った時、Tさんの目から涙がポロポロと溢れ出し、その涙のなかでお参りをされていたとのことです。
そうしていると真っ暗だった本堂の内陣に光がスッと入ってきたといいます。
内陣がパッと明るくなり、それが都路さんにはあたかも「お浄土」のように見えたとのことですが、その時刻が7時25分。それは祖母が亡くなった時刻でした。
真っ暗だった本堂がその5分間だけパッと明るくなったらしいのですが、時刻がどうだとかそんなのはTさんも偶然であることは百も承知であるものの、その一部始終の光景を目にしたとき、「お浄土の場所」というものが分かったといいます。
それまでは「西方十万億土」のずっと外にあるもと思い、それをまた求めてきたわけですが、その眩く光り輝く内陣の光景を目にし、お浄土とは「南無阿弥陀仏」、そのお念仏の中にあるということに気づいたとのことです。
私の手元にある冊子に示されている講義の中で、彼女は親鸞上人の以下のご和讃を引用されてます。
南無阿弥陀仏のお念仏を称えた時、既に亡くなって南無阿弥陀仏の仏さまとなられた方々は私のまわりを百重にも千重にも取り囲んで喜んで守ってくれている・・という和讃なんだそうで、その時の親鸞上人の心境がTさんご本人の中で解釈できたといいます。
親鸞上人が自分の師である法然上人の往生を知ったのが冬の越後。その寒い越後の地において、南無阿弥陀仏と称えた時、法然上人は南無阿弥陀仏の仏さまとなって、自分の周りに百重にも千重にも喜んであ叩く見守ってくださると感じたのであろうというその親鸞上人の心境、それが当時の彼女ご自身にも感じられたとおっしゃいます。
それは親鸞上人にとって法然上人がそうであったように、Tさんにっては私の祖母が仏さまの姿になって見守ってくれていると感じたとのことです。
孫にとってはそこまで祖母のことを仰っていただくのは本当に恐縮極まりなく、このTさんというお方には頭の下がる思いでして、亡くなった祖母もさぞかし喜んでいるだろうと思います。
なんせ祖母の娘である叔母は信心深い人間であるものの、その他の祖母の2人の息子(つまり私の叔父やクソ親父)やそのヨメたち、及び私を含む5人の孫は何れも信心とは程遠い人間でして(だからといって祖母は信仰を強要するような人間ではなかったのですが)、私たち孫と同じ世代のTさんとわずか半年とはいえ一緒に晨朝に行き、そしてお話をしていた日々というのは祖母にとって掛け替えのない日々であったと察しますし、その思いを抱いたまま晩年を迎えれた祖母は本当に幸せだったと思います。
ネット上で恐縮ではありますが、Tさんにはこの場を借りて心から御礼申し上げます。
おわり
(2012/12/23 06:23) 御影堂での晨朝のようす。15年ほど前、同じ場所・同じ時間に学生だったTさんと祖母の姿がここにありました。叔母は今も欠かさず毎日お朝事に行っております。