西本願寺・祖母とある学生のお朝事(1)
今回はだいぶ前に亡くなった祖母のことを書くのですが、浄土真宗への信仰がめちゃ深かった祖母だったため、宗教がらみの話になります。拒否反応がある方は以下読まないよう願います。
(そういう私も「信心深い人間」というにはあまりに程遠く、どちらかというと無縁なほうではあるのですが)
(そういう私も「信心深い人間」というにはあまりに程遠く、どちらかというと無縁なほうではあるのですが)
私は面識がないんですが、自らを「仏教研究家」と名乗っておられるTさんという方がおられます。
実はこの方とウチの祖母とがひょっとしたことでご縁がありまして、祖母の死後、その交流のことをご自身の講義の中で取り上げてくださったりしております。
その講義の内容を冊子にしたものを数年前に叔母から貰ったのですが、この年末、掃除をしようとしたところでこの冊子が出てきちゃいまして、またも掃除もせんと読み込んでしまったんですわ。
実はこの方とウチの祖母とがひょっとしたことでご縁がありまして、祖母の死後、その交流のことをご自身の講義の中で取り上げてくださったりしております。
その講義の内容を冊子にしたものを数年前に叔母から貰ったのですが、この年末、掃除をしようとしたところでこの冊子が出てきちゃいまして、またも掃除もせんと読み込んでしまったんですわ。
んなもんで、ちょっとその内容をここで紹介させてもらいます。
今から10年以上前のこと。
当時、京都大学大学院で学ばれていたTさんはある壁にぶつかっておられた。
当時、京都大学大学院で学ばれていたTさんはある壁にぶつかっておられた。
彼女はそもそも愛知県にある浄土真宗本願寺派のお寺の娘さんでして、小さい時からお寺のお朝事(おあさじ、晨朝(じんじょう)ともいう。朝のおつとめ)に参加するなどし、自然に念仏とかをされてたようですが、10代になると自我が生まれ、目に見えない宗教に対して懐疑的になっておられたようです。「これは単なる妄想の世界なのではないか」というような感じにです。それは宗教戦争なんかの報道に接して尚更「宗教の存在意義」について考えさせらていたといいます。
その後、仏教からちょっと距離をおくため、大学時代に宗教哲学を専攻されて、哲学を通してキリスト教やその他様々な宗教について学ぶことになるんですが、どれもイマイチ自分にしっくりとこない。
結局、また元の仏教、特に幼少から接してこられた浄土真宗に関心が向いていきます。
結局、また元の仏教、特に幼少から接してこられた浄土真宗に関心が向いていきます。
そして大学院で浄土真宗の開祖である親鸞上人の「教行信証」を学んでいる際、「仏教を生きるとはどういうことか」と壁にぶちあたってしまったんだそうです。ご自身の仏教に対する知識はドンドン膨れ上がるも、生きる実感というものが持てず、「教行信証」についての理解もなかなか深まらない。
七転八倒のきつい日々を送っておられたのですが、とある年の秋頃、ふと自分の原点に帰ろうと思い立つ。
その原点とは「お朝事」です。
毎朝通っていると、色々な常連さんがおられる中で、とあるおばあさんも同じように毎朝通っていることに気づきます。そのおばあさんの笑顔に都路さんは惹かれたんだそうですが、ある日に意を決して「毎朝いらしてますよね」と話しかけた。そのおばあさんは「私は毎朝50年間通ってるんだよ」と答えたんだそうです。
そのおばあさんこそ、当時85歳の私の祖母ですわ!
そのおばあさんこそ、当時85歳の私の祖母ですわ!
ウチのおばあちゃんは80代になってもめちゃ頭がハッキリしてた人でして、「おしゃべり」という感じではなく物静かではあるものの、私と政治の話からお笑い芸人についてまで、何の話題でも幅広くしゃべる人でした。
そんなもんで、同じようにTさんにもお経の解釈や和讃の感想などを語りかけていたそうです。祖母の最大の得意分野なんでそりゃ自分の話に興味を抱いてくれる若いTさんに対してドンドン語りかけてたはずでしょう。
祖母に対して「浄土真宗を生きている」と感じたTさんは「何か自分に影響を与えてくれるのでは」と思い、その後も暫く一緒に通っておられたんだそうです。
そうしている間に季節のいい秋が終わり、冬へと移り変わります。
京都の冬はご存知のように寒い。
この前も関西ローカルの番組で京都に住むシベリア生まれの人が、「底冷えするんで、シベリアより京都のほうが寒い」といってたくらいですわwwこれはちょっと大げさですが、まぁ寒いのは確かです。
当時、烏丸丸太町で下宿されてたTさんはチャリで片道30分もかけて西本願寺に通ってたんだそうです。
寒さ対策に背中にベタベタとホッカイロを貼ってがんばって通うも、本堂で真っ白な息を吐きながら一時間以上も座っている状態というのは「これは殆ど修行に近い状態」と相当キツイ思いをされてたんだそうな。
Tさんはめちゃ辞めたいとこやったみたいですが、ウチの祖母はいつもTさんより早く来て自分の紫のショールを隣に置いて席をとってくれてたんでそうです。クソ寒い時期、大して人も来ておらず、座る場所はいくらでもあるのにも関わらず・・・です。もちろん席を取るというより、祖母はTさんとお話がしたかったんでしょうけどw
そして行くと「寒い中、今日もよう来たね」と褒めるんだそうです。
そんなことをされると、真面目なTさんはなかなか「もう辞めます」とは言い難い。
(私個人的にはほっといて辞めればいいと思いますがw)
しかも追い打ちをかけるように祖母はTさんに語りかけます。
「(親鸞上人は)越後に流されてご開山はさぞかしお寒かっただろうね。こんな京都の寒さくらいではなかったと思うよ」と。
それを聞いた彼女は更に「寒いから辞める」とは言えなくなってしまったらしいです。全くお気の毒な話ですw
それを聞いた彼女は更に「寒いから辞める」とは言えなくなってしまったらしいです。全くお気の毒な話ですw
ところが晨朝に通い始めて半年が経った2月上旬、本堂に行くといつも先に来てるはずのウチの祖母が珍しくいないことに気づきます。