ROCK CD & DVD BUYER'S GUIDE III

一応、風景写真がメインです

日本人の幸福度

アジア各地を駐在したとあるイタリア人記者は日本駐在中、都内の駅ホームに並んでいる日本人の表情を見て驚愕した。その表情は何れもあまりにうつろだったという。
元々イタリア人ならではの陽気な気質だった彼は、そんな日本になじめなかったのか、在日中にうつ病に陥ったらしい。
その話がなんと、日本がイケイケの80年代バブル当時というんだから、今の日本人の顔を見たらこの記者はどない思われるんでしょう??(既に亡くなっておられます)
 
 
自然災害をはじめ、放射能だ虐待だと新聞等に報道されてる内容は本当に毎日毎日、悲惨な話題ばかり。
とある海外の専門家が述べてますが、精神的に患っている方は朝からニュースや新聞には接しないほうがいいかもしれません。基本的に楽しい話題は少ないので、一日ブルーになる可能性もあります。
 
そういう悲惨な事態が続く日本ですが、どちらかというと悲観的な考え方をする日本人は元々「幸福」をなかなか感じない気質である・・というのはご存知の方も多いはず。あらゆるアンケートなどの調査でその結果が出てます。
 
Adrian Whiteという心理学者が調査した結果(2006年)でも、「幸福度」は178カ国中、90位
いくら傾き始めてる国とはいえ、失業率もそれほど高くもないし、医療は比較的充実してるんで他国と比較してそれほど不幸でもないはずなんですが、これが現実です。
 
当然、幸福か不幸かを感じる大きな要素に「金」があるんでしょうが、一人当たりの実質GDPでは日本人は世界でもトップクラスであり、なのになぜ?ってな話の展開がよくありますが、こんなのは殆ど無意味。
自分の周辺との比較、または過去との相対において「裕福」や「貧しさ」を感じるんであって、他国の経済状況と比較するのはナンセンスです。
 
日本の自殺率は10万人当り24.0人で108カ国中6位。米国(11.0人)の倍以上で、自殺率が急上昇している韓国と比較しても多い数です。(韓国は21.9人)
 
自分には、 禍いのかたまりが十個あって、その中の一個でも、隣人が脊負ったら、その一個だけでも充分に隣人の生命取りになるのではあるまいかと、思った事さえありました。
 つまり、わからないのです。隣人の苦しみの性質、程度が、まるで見当つかないのです。プラクテカルな苦しみ、ただ、めしを食えたらそれで解決できる苦しみ、しかし、それこそ最も強い痛苦で、自分の例の十個の禍いなど、吹っ飛んでしまう程の、 凄惨な阿鼻地獄なのかも知れない、それは、わからない、しかし、それにしては、よく自殺もせず、発狂もせず、政党を論じ、絶望せず、屈せず生活のたたかいを続けて行ける、苦しくないんじゃないか?
太宰治人間失格」より)
 
飯の心配をしてひた向きに生きている隣人のほうがまだ幸せそうに見えるという、裕福な家庭で育った太宰ならではの発想です。金だけが幸福/不幸のものさしでないということを端的にあらわしてるかと。
 
 
幸福感は先ほども述べたように相対的に感じるものなんで、現時点で幸福の絶頂を感じている方はあとはピークを境に幸福感が下がっていくしかありません。これは定理であり、常に幸福の絶頂のまま生きていくのは絶対に不可能です。
逆に今、不幸のどん底にある方は近い将来、何気ないちょっとしたことであっても幸福を感じる ―――この幸福感の波の中で我々は生きているわけです。
 
私が思うにこの波が大きい人・・・つまり、一喜一憂の度合いがひどい方は特に不幸の感じ方も大きいように思います。
改めていうほどでもありませんが、「幸福感」には個人差が非常に大きくあります
同じような渦中にいても、一方で死にたくなる人、一方で大して気にも留めない人がいるのは確かです。
 
もっと具体的にいうと、幸福の感じ方は実は遺伝子レベルで異なるということがわかりはじめており、つまり幸福感は遺伝します
近い身内で自殺者がいる場合、その人が自殺する確率は上がると言われています。その場合、遺伝の影響もあるかもしれません。
逆に幸福の感じ方のメカニズムがわかってくると、それらをコントロールすることで今後、鬱などの病が今よりも容易に治せるようになるかもしれません。
 
 
幸福感について、私が一番影響を受けた・・というか、「自分に戒め」をもたらしているのは宗教家の発言でも、どっかの哲学者の書物でもなく、アンネ・フランクが記した日記の文章です。
幸福だ不幸だってな話を聞くと、度々この弱冠15歳の少女の言葉が頭を過ぎります。
 
彼女は自分の「おかあさん」が他人との比較において幸福を感じなさいという考えに違和感を持ってたようです。
「○○○の人なんか、あんだけ酷い目にあってるねんで!それに比べたらウチらは貧乏やけどまだマシやわなぁ」なんてのはウチのオカンなんか一番よく言いそうなセリフです。アンネのおかあさんはもうちょっと上品ですが、根底にある考え方は同じです。・・・というか、凡庸な人間なんてのは大抵そんなもんでしょう。
ナチスの迫害を受けながら隠れ家の狭いところで生活をしていたアンネですが、彼女は違ったようです。
 
手元に「アンネの日記」がないのですが、最後にネットからコピペしたものを貼り付けておわりにします。
 
 
だれかがふさいだ気分でいるとき、おかあさんはこう助言します ― 『世界中のあらゆる不幸のことを思い、自分がそれとは無縁でいられることに感謝なさい!』って。
いっぽう、わたしはこう言います ― 『外へ出なさい。野原へ行って、自然と、日光の恵みを楽しみなさい。あなた自身のなか、神様のなかに、もう一度しあわせを見出すように努めなさい。あなたのなかと、あなたの周囲にまだ残っている、あらゆる美しいもののことを考えなさい。そうすれば幸せになれます!』
 


 
おかあさんの考えかたは、とても正しいと は思えません。
だって、もしそうなら、自分自身が不幸のなかをさまよっている場合、いったいどうふるまったらいいんでしょう。お手上げじゃありませんか。
それとは逆にわたしは、どんな不幸のなかにも、つねに美しい ものが残っているということを発見しました。それを探す気になりさえすれば、それだけ多くの美しいもの、多くの幸福が見つかり、ひとは心の調和をとりもどすでしょう。そして幸福なひとはだれでも、ほかのひとまで幸福にしてくれます。
それだけの勇気と信念とを持つひとは、けっして不幸に押しつぶされたりはしないのです。