左巻き高校教師の「反原発」授業
その男性教師は自分で資料をかき集め、それを自分でまとめてプリントアウトした数枚のレポートを授業の度に生徒に配った。
今になって思えば、日本の教師にありがちな左巻きだったんでしょうな。
事故が一度起こってしまうと、取り返しのつかない事態に陥る。
チェルノブイリの事故が起きた頃だったので、非常に怖いもんだと素直に思ったもんです。
さて、それから約20年後、胡散臭いエコが声高に叫ばれる時代が到来して、「CO2を輩出しない」とかってな理由でまたも原発が見直されてきた。原発の建造を辞めていたドイツも方針を転換しようという動きが出てきたくらいですわ。
個人的にも「資源がない日本にはやはり原発は避けられない」という認識でした。
そんな時勢において、発生した今回の原発危機です。
当然、基礎の部分を5メートルから更にかさ上げして10メートルまたは15メートルと上げていくと、とんでもない額の予算が必要なのはわかるが、過去の歴史において、何度も大きな津波が来ているあの地で「5メートル」という設計はどう考えても甘すぎないか??
「結果論だ」という批判は値しないでしょう。
例えば、河川の堤防。100年に一度の強雨を想定して設計するのは予算的に厳しいもんがあるが、原発についてだけは「一度たりとも被害を起してはならない」建造物であって、500年に一度の未曾有の自然災害をも考慮するのが当たり前。
また、燃え滾ってる核燃料棒が格納されている圧力容器は分厚い鋼鉄に囲まれて管理されてるかしらんが、使用済みの核燃料ってのはどうだったのか??仮置きだかなんだか知らんが、使用済みとはいえ熱をもってる核燃料を置いておくその「プール」ってのはどれだけの災害等を想定して作られていたのか??
これらのことは東電を責めるより、やはり国を責めるべきでしょう。国内で最もおっかないこんな施設は国が責任を持って管理、コントロールすべきです。
今回の災害は何もかも想定を上回っているのはわかるが、それでもここまで原発が「軟い」もんだとは思っていなかった。あらゆる安全策が二重三重に施され、何があっても圧力容器にまで被害が及ぶことはないのだろうと。
今回の件でまたも国に裏切られた感がある。
そこからドロドロに溶解した核燃料が漏れ出し、格納容器に溜まった水素ガスと反応して爆発した場合、放射能が広大な地域に瞬時に飛び散るという最悪な事態も拭いきれない。
原発により関西に住む私も非常に大きな恩恵を受けていることは重々承知した上で言わせて貰うが、
左巻きの高校教師、彼の授業は正しかったと言わざるを得ない。