ROCK CD & DVD BUYER'S GUIDE III

一応、風景写真がメインです

「機動戦士ガンダム」第1話が放映された日

(以下、NHKドキュメンタリー「ガンダム誕生秘話」のインタビューを参考にしました)


1979年4月7日、東京・赤坂の高級マンションに幹部をはじめ東映の関係者が集まっていた。
その高級マンションは「宇宙戦艦ヤマト」のプロデューサー・西崎義展氏の自宅であり、ヤマトの会議がそこで行われていた。
ヤマトのスタッフとして安彦良和氏もその会議に出ていたという。

17時半になろうとしたところ、安彦氏は「ちょっと待ってください。テレビをつけてもいいですか」と突然言い出す。
「なんだ?」との会議参加者の問いに「僕の新しい仕事の第一話を今放映するんです。見せてください」

この日の17時半、テレビ朝日系列で放送が始まったのが「機動戦士ガンダム」の第1話。
当然、安彦氏は完パケを事前に見ており、この会議でわざわざテレビを点けたのは理由があった。
会議参加者は「じゃあ会議を一回止めて観ようじゃないか」と安彦氏の思惑どおりのながれになる。

「俺はもうこの場(ヤマトの現場)にはいないんだ。俺の気持ちはこっち(ガンダムの現場)にあるんだ」
安彦氏のスタンドプレーはヤマト関係者にそれを知らしめるためのものだった。
会議の場はガンダムのOA中、沈黙がつづいたという。
アニメに精通している関係者が批判をしないということは作品をある程度認めたも同然であり、安彦氏は「ヤマト」の3分の1の戦力でこのガンダムを立ち上げたことに自信を深めた。



メカニカルデザイン大河原邦男氏もOAを見ていた。
ガンダムガンキャノンガンタンクの主要モビルスーツのデザインにあたってはスポンサーや制作サイドの意見で雁字搦めだったが、敵サイドであるザクは富野監督の「モノアイ」以外は何の制約もなかった。

一番時間をかけないでデザインしたザク、OAで初めてそのザクの動く姿を見ることになる。サイド7に侵入してくる数機のザクがあまりにかっこよく一番感銘を受けたという。
「視聴率が悪くてもおもちゃが売れなくても、別にいい」
おもちゃが売れなくてはデザイナーとしては落第ではあるものの、この作品に関してはそれが自分に許せる、そう思わせるだけのインパクトが第1話にあった。


 
第1話は本当に安彦良和氏が完全に全編を掌握しているので、その画力たるや今みても凄いものがあります。
視聴率とスポンサー、低予算と少ないスタッフ・・・その劣悪な環境のなかで当時まだ30代の安彦氏や大河原氏、監督の富野由悠季氏の力が結集したのはホンマ奇跡です。


結局、ガンダムの第1話は3%台と当時放映してた「ヤマト2」の半分以下の視聴率にとどまります。
クソガキたちからも全く注目されず、静かなスタートとなりました。
当時の私も同様で、逆にガンダムファンのクラスメイトに「こんなスターウォーズのバッタモンみたいなアニメ、どこがええねん」とか見もせずにバカにしておりました。
このポンコツクソガキたちがガンダムのすごさに気づくのは放映打ち切り後、再放送が開始される一年以上をも要することになります。

 
ガンダムについて語ればキリがないのでこれくらいにしますが、最後にガンダムの生みの親・富野氏のNHKでのインタビューを。
彼がガンダムについて肯定的に語るのは珍しいです。

「自分の能力以上のことを思いついてるかもしれないということを作品に教えられるんで、自分の作品、つくりが悪い悪くないは別にしてかなり基本的に好きですよ」

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