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一応、風景写真がメインです

70歳の高校生・卒業作文

先程、NHKの全国ニュースで岡崎の定時制高校を卒業された男性の方が取り上げられてました。

大久保雅弘(70)さんはいろいろな事情で中学卒業後は高校に通わず仕事を始められたようですが、60代半ば過ぎに仕事の一線から退くタイミングで勉学への欲求が湧いてきたそうです。
「学歴はどうでもいいんだが学力がないことにつらい思いをしてきた」とおっしゃってました。

卒業するにあたり、高校生活4年で学んだ漢字や語彙を駆使して書かれた作文を音読するシーンがあったのですが、ごく一部だったのでどこかに全文はないかと検索してみたところ、NHK名古屋局の福永美春さんがブログでアップされてたのでそこからコピペします。


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夢をあきらめない         四年生4番 大久保雅弘

 

今年は、私にとって四年生に進級し、七十才を迎える節目の年でもあります。
私は中学二年生の時、家計を助ける為新聞配達中に交通事故に遭い、その後遺症で、てんかん病の発作を繰り返すようになりました。
もう、まともな人生は歩めないと、自暴自棄になりバイクで暴走行為を繰り返し、スリルを味わうことで満足を感じていました。

当時、親父は酒浸りの生活で働かず、そんな父を見て兄貴もぐれてしまいました。
私も何度も家庭裁判所に母と出頭しました。私の事を心配した先生が、地元の文房具店で住み込みの仕事を探してきてくれました。
これを機に母に心配かけたり、悲しませないようにしようと固く心に決めました。
休みなしで働き、業界では名の知れたトップセールスマンとなり、少しは母を安心させることができました。

営業には自信がありましたが、お客様のところで漢字が書けなかったり、英語が読めなくて大恥をかきました。
それを克服するために、高校に今からでも行って勉強したいと思うようになりました。
今から八年前、息子が事業を継ぎ、自分の時間が持てるようになりました。
そこで人生に悔いを残さないように、高校に入学し、一から勉強したいという思いが止まらなくなりました。

そうして、合格発表で自分の受験番号を見つけた時、長年の夢が叶えられたと、感動したことは今でも忘れる事ができません。
年の違うクラスメイトとも仲良くし、楽しい学校生活を送ろうと夢の第一歩を踏み出しました。

 
しかし、思い描いていた学校生活とは程遠いものがありました。
授業を聞かず、注意を受けても、そのすぐ後から私語を話したり、スマホをいじっている生徒が何人もいました。
しかし、学校の枠からはみ出したような行動を繰り返していた生徒が退学して行き、次第に教室は落ち着いたムードに代わっていきました。

そんな中、初めて迎えた中間テスト。
平均点が三〇点に満たなくて、ショックで呆然としたのを覚えています。
これから先、同級生たちと一緒になって勉強し授業についていけるだろうかと心配になりました。

七月の期末テストでも同様の結果で、私はだめだ。とてもついていけない。と自信を無くしてしまいました。
妻にも愚痴をこぼし、学校を辞めたくなりました。
妻は一言私との約束を守ってくださいと言うだけでした。
私は入学できたとき、無事卒業した暁にはハワイ旅行に一緒に行こうと約束したのです。
このままではだめだ。必ず卒業するのだ。と自分に言い聞かせました。

そして記憶力の低下を補うために、毎日朝晩かかさず机に向かい、反復学習を心掛けました。
テスト前になると毎朝三時に起きて勉強しました。
考査期間中は睡眠不足で体はガタガタ。頭はもうろうとしてきますが、乗り切るしかないと頑張りました。
二年に進級して、勉強の仕方が分かるようになり、結果が伴うようになりました。
それが自信となり、今もテスト期間中は朝三時に起きて勉強をしています。

定時生活で嬉しかったことは沢山ありました。
中でも、二年生の体育祭で、全長二、四mの立体マスコットを作りました。
○君が設計係に立候補して、その○君の指示の下、製作を始めました。
非協力的だった生徒たちも次第に輪の中に入り、皆の力を合わせたマスコットが完成しました。
その時、今までバラバラだったクラスが一つにまとまりました。
それが何より嬉しい事でした。
もちろん、マスコットの部で優勝し、賞を受け取った○君の笑顔の何と晴れやかだったことか。
こんな場面に遭遇出来たのも定時制だからこそと思います。

 
二年生から軽音楽部に入部し、顧問の先生から「三線」を一から教えて貰いました。
夏休み中に希望者で「缶カラ三線作り」に挑戦しました。
本物と変わらない音色でビックリしました。
文化祭でその三線を使い発表するため、授業後遅くまで練習しました。
音階を覚えたそばから、もう忘れていて、何度も何度も、繰り返してメロディーを覚えていきました。
文化祭では、苦手な楽器を使っての発表。手はぶるぶる震えていました。
それでも無事演奏を終えた時「やったあー」と演奏した仲間と歓声を上げました。

 
この年で新しい楽器が弾けるようになるとは、この学校に入学していなければ、絶対になかったことです。
定時制で出会った若者たちや先生のお陰で、「諦めずに最後までやり切る。」という大切なものを貰いました。
自分一人だったら、おそらく四年生まで来られなかったと思います。
私の周りの皆様のおかげで、今日を迎えられたと思っています。

最後になりますが、今いるクラスメイト全員で
卒業式に臨めることを願っております。
その時、夢であった高校卒業を実現できた自分を褒めてやりたいと思います。



ニュースでは大久保さんが若い同級生たちを紹介する場面が。
そのうちの一人の若い女の子は大久保さんにしょっちゅう泣かされたと語ります。

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「ズバーって的を射た事言うんですよ」と言い、その言葉に感動して涙してしまうんだそうです。
この短いインタビューのようすを見ても世代を超えて打ち解け合ってることが伺えました。

大久保さんも若い同級生の皆さんもお互い勉学以外のたくさんのことを学校生活で学びあったんじゃないでしょうか。

皆さん、ご卒業おめでとうございます!!