釜石小学校・「釜石の奇跡」と「てんでんこ」
白い鉄筋コンクリート製の建物は釜石小学校です。
ご覧のように小学校は高台にあるので、震災当時の津波においても小学校は被害を免れております。
ですので、小学校に生徒たちがいる場合は当時の津波が来ても確実に助かるわけですが、震災当日はあいにくの短縮授業。
全校生徒184人のうち、学校に残っていたのは卒業式の準備をしていた6年生10人ほどだったといいます。
殆どの生徒は既に帰宅していたり、公園で遊んでたりしていたわけですが、生徒たちは地震発生後、自らの判断で高い建物へ、その高い建物も怪しいと判断すれば更なる高台へと各々が避難しました。
中には家族を心配して自宅へ帰ろうとした生徒さんもいたようですが、一緒にいた別の仲間がそれを引き止め、一緒に高台へ避難させたりもしたようです。
震災後に全国的に有名になったまさしく「てんでんこ」の実践です。
(釜石小の生徒だったかは私の記憶があやふやですが)
釜石小の入り口。
ここから坂道を上って校舎のほうへ。
結局、釜石小の生徒は誰も津波の犠牲にはならず全員助かりました。
釜石小だけではありません。
市内の小中学校の生徒2921人が助かり、犠牲になったのは学校にいなかった5名のみ。生存率99.8%です。
「釜石の奇跡」と言われる所以ですが、生存率が驚異的数字とはいえこれが奇跡でもなんでもないことは改めて指摘するまでもないでしょう。
「教育」により彼らに備わった「知識」が彼ら自身やその家族を助けたのです。
「津波に対する知識」が欠落しているからです。
古くからの「てんでんこ」の教えを全うしていれば、津波の犠牲者はもっと激減していたであろうことはこの生徒たちの生存率を見れば一目瞭然です。
そして、この「奇跡」に至ったということです。
(残念ながらこの真逆のケースのひとつが石巻市、もしくはその市内のとある小学校ということになります)
(2016/03/26 16:58)
震災当時、釜石のある小学校の校長をされていた方は「釜石の奇跡」という言葉は素直に受け入れられないと紙面で語っておられました。
その元校長の学校では津波が襲った時にまだ下校していなかった生徒さんは全員助かったものの、既に下校していた生徒さんの中に亡くなった方がいたとのこと。
元校長はそれを今も悔やんでおり、「奇跡」という言葉は使う気になれないそうです。
彼らの知識と体験談は貴重で、これからも世に広めていただきたいものです。
釜石小の校門前から見る釜石市内のようす。