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[大川小訴訟]最高裁が石巻市と宮城県の上告棄却

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この大川小の生徒さんの遺族による訴訟を批判するバカ連中が多いゆえ、本当に原告の皆さんは大変だったと思いますが、最高裁の判断は至極真っ当でこの判決は当然です。

 

 

まぁヤフーニュースのコメントでも遺族を非難するバカコメントばっかりですわ。

「他の震災の遺族との差は?」「判事や遺族はこの想定外の津波を予測できたわけ??」ってなのが主な論調です。

 

津波により全壊した当時の大川小の時計は3つとも15時37分で止まっていたといいます。

地震発生が14時46分なので津波が押し寄せるまでに50分ほどの時間があったことになります。私が石巻の市街地で被災された方から直接聞いた話では地震から津波まで30分ほどの時間差があったらしいのですが、大川小の場合は入り組んだ三陸海岸追波湾の湾奥の北上川津波が遡上したゆえ、市街地よりも若干時間があったのかもしれません。

 

当時のハザードマップでは大川小は危険区域外だったらしいので地震直後に津波が押し寄せることを予測するのは困難だったと想像しますが、それならばなぜに教師たちは地震発生から40分もの長いあいだ寒い運動場で児童を待機させて、その後に北上川の橋のほうに向かったのか。

それは津波を避けるための目的でしょう。

市の広報車も午後15時半ごろに小学校周辺を廻っていて「津波が来ている」とアナウンスしていることが判明しております。これを耳にした時点で想定外でもなんでもない。

一部の生徒からはすぐそばの山へ避難しようと教師に提案する声もあったといいますが、それは無視され、わざわざ津波が遡上するであろう川の土手に向かって避難するという全く理にかなっていない行動を取っているわけです。

 

 

通常であれば「自己責任」となるかもしれませんが、学校において教師は絶対たる存在であり、小学生で教師の指示を無視して勝手に山へ逃げるなどまず無理でしょう。

教師であれば生徒の命を守る行動をしなければなりませんが、その意図は亡くなった先生方に間違いなくあったにせよ、結果的には全く意味不明な引率をしてしまっている現実があります。

「結果論」とか抜かすやつがいますが、この判決を批判してる連中は沿岸部にいるときに津波が来たら真っ先に近くの川の土手に逃げるんですかね?

「ずっと運動場で待機のままだった」というならまだ理解できるのですが、川へ向かうのはどう考えても有り得んでしょうよ。

そして運動場にそのままいれば助かっていた児童は多かったはずです。

 

じゃあ、現場の教師に全責任があるのかというとそういうことではなく、そのような準備を全く怠っていた宮城県や特に石巻市側に問題があったということです。今回の訴訟もあくまで相手は県と市です。

これまで何回もここで触れてますが、釜石市内の全小学校で当時学校内にいた小学生で全く犠牲者が出ていない(下校した生徒さんの中には犠牲者はおられます)ことからするとその常日頃の災害に対する備えの差としか言いようがない。

津波が来るまでの時間的余裕、そして学校のすぐそばに山がありながら児童108人のうち70人が死亡、4人が行方不明とか有り得んでしょうよ。

他の津波による被災者や遺族と全く状況が異なることがわからんバカが多いことに唖然とさせられますわ。

 

やはり学校関係者は学校にいる生徒たちの命を守るためにあらゆることを想定しておくべきでそれを怠ってはならないということを突きつけた非常に重要且つ意義のある裁判だったと思いますし、原告の遺族の方たちには本当に苦しいなかお疲れ様でしたと言いたいです。

「そんなことまで教師に責任を負わせるのか!」とか抜かす学校・教育関係者がいるのであればそいつは即刻転職すればいいだけの話です。