ROCK CD & DVD BUYER'S GUIDE III

一応、風景写真がメインです

阪神大震災から20年(2)・崩壊した日本の安全神話

前置きしておきますが、日本の土木・建築の構造物はそりゃ確かに中国や韓国みたいな国に比べたらダントツ信頼できるものというのは私も認識しております。
・・が、「日本で作られているものは安全・頑丈」という過剰な期待は大きな間違いです。
それを痛烈に認識させられたのが阪神大震災でした。
数年前にも記事にしましたが、再度そのことについて書きます。

阪神大震災から約10日後、東京に本社を置くあるスーパーゼネコンの社員が大挙して大阪の支社に派遣されてきました。
当時、公共土木関係の仕事をしていた私はよく分からんまま、その支社に孫請けとして急遽送り込まれます。
ゼネコンの目的は西宮から神戸に至る阪神高速道路の全ての橋脚に対する調査でした。

震災からわずか10日後のため、大阪から神戸へと繋がる東西に走る道路は国道2号線をはじめ、大渋滞で混乱を極めておりました。JR・私鉄各線についても西宮の途中の駅から不通状態で電車での移動もできません。
そこで、陸路は断念し、小さい漁船をチャーターして大阪から海路にて神戸へ乗り込みました。

震災から10日しか経っていないため、現実味がないほど変わり果てた街の風景でしたが、驚いたのは阪神大震災として誰しもが最も脳裏に焼き付けられたであろう阪神高速道路の倒壊現場です。

イメージ 1
鹿島建設のHPより

不謹慎ながら、私はその倒壊現場をこの目で実際に見たかったのですが、既にその時には綺麗な更地になっていました。
635mにも渡って倒壊したあれだけのどでかい構造物がたった数日で跡形もないことに度肝を抜かれて、「これは復興は想像以上に早くなる」と確信し、日本人の凄さを改めて認識しておりました。
実際に阪神高速は次の年の9月に全線開通という異常な早さで復旧しとります。

しかし、後述しますがこの速攻の撤去については後に問題が発覚します。



高速道路の橋脚を実際に見てもらえれば分かりますが、橋脚には全て番号が振られておりまして、その番号のプレートが取り付けられています。
その番号を現場用の黒板に書いて状況も追記し、橋脚とともに写真を撮るという作業をゼネコンの連中とひとつひとつの橋脚に対してやっておりました。
その作業をやり始めてすぐ、ゼネコンの連中は崩れた橋脚からむき出しになった鉄筋を見て驚愕します。
「通常では有り得ないこと」が起こっていたからです。

それは「鉄筋の圧接部の破断」です。
鉄筋はもちろん一本一本を繋げないといけないわけですが、それはガスなんかの高熱と圧力をかけて「圧接」します。
その圧接部分というのは鉄筋の太さよりもふっくらと太くなっていまして、通常の鉄筋部分よりも「より強度が高い」のが常識です。
それがその圧接部分で鉄筋がことごとく破断しているのです。

明らかな「手抜き工事」です。
そういう橋脚があちこちで見られるという酷さでした。
確かに阪神大震災は非常に大きな揺れが瞬間的に襲うものでしたが、基準通り、または設計通りに工事を行なっていれば、あれほど甚大な倒壊や座屈などの被害が出ていなかったのはでは??という疑問をもたざるを得ません。

阪神高速の倒壊では16人の方が亡くなったといいます。
息子さんが亡くなったある遺族は公団相手に訴訟を起こしたのですが、証拠として鉄筋の提出を求めたものの、公団側は「捨てた」との回答。
あの635mの倒壊現場の構造物を速攻で撤去したのは見事でしが、後世の検証のために残すという大事なことを怠ったことになります。
怠るどころか、意図して隠蔽のために捨てたと疑われかねない対処です。



阪神高速だけではありません。
前回の記事で私が住んでいた街は震度5強(想定)程度の大した揺れではなかったと述べました。殆どの木造家屋等は何も被害がなく、「被災」というほどの光景は見当たらなかったのですが、とある箇所だけ異様な光景になってました。
山陽新幹線の高架」です。

周辺の一般住宅は平然と建っているのに、鉄筋コンクリートの新幹線の高架の一部が、ドーンと下に落ちているのです。
そこは市道が新幹線の高架下をくぐってる部分でして、下に人や車が通っていればと思うと恐ろしい話です。
それどころか始発発車後に地震が来ていたら、大惨事になるかもしれなかったわけで、これも明らかに手抜き工事によるものとしかいいようがありません。

崩壊した高架は新しく作り直してるのでさすがにしっかりとしたものとなっているでしょうが、他の箇所は補強しただけでそのままの高架・橋脚を使ってその上を新幹線が今も走っているわけで、非常に胡散臭いとしかいいようがない。

揺れが大したことがなかった私の住んでる周辺では他の大半の建築物が被害がないだけに、そういう手抜きであろう構造物は非常に際立って無残な姿を晒してました。
日本の土木・建築物に対して過剰に信頼をおくのは本当に危険です。
想像以上に手抜き工事が多いというのが当時の実感でした。



最後に付け加えておきたいのは、崩れた高速道路の現場で作業していた方々の光景についてです。
震災から数日しか経っていないため、当然ながら再度大きな揺れがくる可能性があったわけですが、崩れかけた鉄筋むき出しの橋脚に足場を組んで、橋桁のすぐ下の高所に潜り込んで作業をしている方々があちこちでおられました。
大きな揺れが再度来たら、逃げる場もなく足場とともに橋桁の下敷きになりかねず、命がけの作業です。

このような方々のおかげで阪神高速はじめ、鉄道や橋などその他いろいろな構造物が考えられない早さで復旧したわけで、本当に感謝です。
日本人の残念な面と素晴らしい面が交錯して見えた被災現場での体験でした。