[阪神大震災から25年]経験者が語り継ぐべきこと
震災から25年も経ち、その風化が報道されてますが、まぁさすがに四半世紀にもなると風化は致し方ないでしょう。
私にとって震災からの「25年」はあっという間でしたが、25年というと日本が太平洋戦争で敗戦して焼け野原状態(1945年)から、高度成長期、東京オリンピックを経て大阪万博(1970年)までが25年です。これはやはり相当長い年月と言えます。
今や神戸在住で震災を経験していない人が約半分、そして震災行事も高齢化などで次々となくなり、五年前と比べて半数ほどの60箇所だそうです。いや、25年も経てまだ行事が60もある事自体がすごいですし、これらを維持されてる方々には頭が下がります。
一番有名な東遊園地で行われる震災行事は35歳の若い方が5年前に引き継いでずっと運営されています。行事に携わる人の減少などいろいろ苦悩があるようですが、亡くなった方の「追悼」だけではなく、経験者の体験を語り継ぐことにも重点を置くなど、行事の中身も変化させているようです。
私も殆ど震災のことについて語る機会はありません。例えば神戸周辺が生活圏にも関わらず、今年も誰とも震災のことを話題にしてません。
私は当時尼崎市内の実家にいたのですが、それほど甚大な被害に遭ったわけではなく、断水を1ヶ月ほど経験したくらいです。
ですが、都市型直下地震の光景をそれなりに目に焼き付けているので(当時カメラは全くやっていなかったので写真は一枚もありません)、その経験を語ることはできます。
このブログでは散々書いてますが、体験者として一番強調したいのは以下の2点です。
① 寝床の安全性の確保
② 構造物への過信は禁物
まず①ですが、人の睡眠時間が8時間とするならば、人生の3分の1は寝床にいることになります。それが自宅限定であるならば、やはりその場所が安全でなければなりません。
例えば、震災時は我々家族は巨大団地に住んでて、そこの震度は5強~6弱ほどあったと思うのですが(当時はまだ震度計が全国各地になかった)、建物自体は全くの無傷でした。しかし、団地内では数名の方が亡くなっておられます。家具による圧死です。団地みたいな狭い部屋に家具を置いている場合、重いタンスなどが倒れてくるとやはり相当危険です。
私は「南海トラフ」を想定して自分の部屋の家具は壁に固定しておいたのですが、震災の大きな揺れのあとに気がつくと私の頭のすぐ横に14インチのブラウン管テレビが落ちてきてました。なんと私が知らぬ間に母親が使わなくなったテレビをタンスの上に置いてたのです。こんなものが2メートル近い高さから落ちてきて頭に直撃したら死に直結します。寝床の安全については気をつけなければなりません。
寝床もそうですが、やはり耐震基準に満たない古いアパートなどに住んでいると地震の際は本当に危険です。阪神大震災では古い文化住宅なんかに住んでいる若い方が多く亡くなりました。私が幼少の頃に住んでた尼崎の文化住宅は周辺の木造一軒家は無傷にも関わらず、木っ端微塵に崩れたました。
金銭的に無理してでも多少なりとも頑丈なところに住んでおくべきです。
そして②ですが、日本だからといって構造物への過信は本当に危険です。
韓国や中国なんかに比べたら信頼性は格段にあるでしょうが、どこかしこに必ず手抜きの構造物があります。
前述のとおり、私の住んでいたところはそれほど巨大な揺れではなかったので多くの木造住宅は殆ど被害がありませんでした。
にも関わらず、新幹線の高架がまるごと地面に落ちている、国道の陸橋が落ちている、古いマンションが座屈している・・などの光景がありました。あきらかにそれらは欠陥です。
そして私は震災から10日が過ぎた頃に丸二日間、西宮市、芦屋市、神戸市の阪神高速などの被害状況を見てきましたが、鉄筋の手抜き工事による橋脚の座屈がいくつもありました。「阪神大震災」というと必ず流れる映像は西宮市内のひっくり返った阪神高速の高架ですが、あの高架部分は私が現地に行ったときには綺麗サッパリなくなって更地になってました。わずか10日後の話です。殆ど原因究明や検証もしていないと思われ、「手抜き工事の隠蔽行為」を疑われても仕方ないくらいの素早さです。
必ず手抜きの構造物は周辺にあります。絶対に過信は禁物です。
震災のとき、大きな揺れの中、寝床で私は「南海トラフが来た」と思いました。
近いうちに本当の南海トラフが発生するかもしれません。
過去の震災の経験が活かされ、少しでも被害が小さくなればいいんですが。