ROCK CD & DVD BUYER'S GUIDE III

一応、風景写真がメインです

京島から見るスカイツリーと防災(2)

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Google Earthによる京島あたりの俯瞰図。クリックで拡大します。スカイツリーとの位置関係も上の図でわかりやすいかと。
 
 
さて、京島の成り立ちについてです。
この地区の形成は1923年に起こったある出来事により、大きな転機を迎えたようです。
(参考サイト:「10+1」Database
 
明治時代くらいまではここら辺りは沼や池が点在していて、その間を田畑が入り組んでたような土地で、周辺と比べてだいぶのどかなところだったようです。
それが関東大震災後、家を失った者たちがこの周辺の地区に流れ込むことになります。
 
変わっているのはここからです。
沼や池をいい加減な工法で埋め立てたりしてそれを住宅地とするんですが、これを行ったのがなぜか震災後に新潟方面からやってきた大工衆。その者たちが長屋などを次々と建てていくわけです。
・・・が彼らは当然ここらに土地を持ってるわけではなく、地主から借りるかたちとなります。
震災後の混乱に紛れて、彼らは借りた土地にドンドンと長屋を建てて、それを被災者に低家賃で貸し出し、それを元手にまた土地を借りて長屋を建てる・・ということを繰り返して、今の京島の街並みとなっていったんだそうです。
大工衆はそのまま京島に移り住み、地主から土地を借りた「借地人」であると同時に自分らが建てた長屋などの運営・・つまりは土地の経営を行い続けます。
 
さて、それから暫く後、先の太平洋戦争で首都圏は空襲で甚大な被害を受けましたが、京島はどうやらそれを免れているようです。
大阪市内の一部の地区もそうですが、「火災などに弱い木造住宅密集地」と言われるところは空襲の被害が軽微だったところと合致する場合が多いようです。京島もそれが当てはまるようで、昭和どころか下手したら戦前の大正時代の雰囲気すら残ってるであろうこの下町ですが、そのような歴史に所以があるようです。
 
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さて、ではなぜに区画整理に手こずっているのか?
 
大工衆の子孫は借地人として今日も受け継がれております。
大正時代の名残で、土地所有者である地主、土地を借りて借家を経営する借地人、何も所有しておらず家賃を払って借家を借りる借家人、この三者の権利が現在においてもそのまま複雑に絡まっていて、そう簡単に土地を整理できないようなんですな!!
 
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住民の方々はどう思って住んでおられるのか??
先に紹介したサイトによると、住民の方々は下町ならではのコミュニティーを形成していて、どうやら現在も満足して生活されておられるようです。また、高齢化も進んでいるため、区画整理に伴う立ち退きなんかもどうやら望んでおられない様子。
 
下町の情緒もいいですが、それと防災との両立はやはり無理なのか。
確かなのは今のままの放置では危険だということです。「下町の風情を守る」という難しい手段をとるにしても、何か防災に備えた街づくりをしないといけないでしょう。
 
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10~20年後、この風景が残っているのか・・ということを考えると、京島はこれから新たな観光地となるやも!
 
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京島から近い押上周辺。
 
 
次は浜松町にある展望台です。