原発危機 事態が深刻化した経緯(1)~震災当日
当事者のインタビューを交えながらの秀逸な編集だったのですが、番組の内容をそのまま時系列に記述するとともに、一部他の報道を追記します。
震災発生からの5日間の原発をめぐる当事者たちの対応です。
※各画像は上記番組より
※水色で記した各当事者の発言はNHKによるインタビュー時のもの
※また、本記事は文字色や大きさを変えたり、改行やスペースを多用することで記事を見やすくしています。
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上記2枚は事故前の東京電力㈱ 福島第一原子力発電所
2011年3月11日
14時46分 M9.0の巨大地震が発生。五分以上にわたり揺れがつづく
この時、原子炉は緊急停止。
15時42分 1~6号機の全電源喪失
福島第一の技術者: 常用の電気が消えて真っ暗になり、非常灯が点いたがそれもすぐに消えた。
もう終わりかなと思った
16時36分 1号機、2号機の緊急炉心冷却装置(ECCS)による原子炉への注水が
不能状態であることを確認する
16時45分 東京電力本店が国に「緊急事態」を通報
※電源喪失から1時間も経過した後の通報だが、緊急事態の通報は
原子力安全・保安院へ15分以内に行う規定となっている
東電本店常務 小森明生: 原子炉の注水機能(冷却機能)はまだ動いているだろうと期待していた
緊急事態宣言までの流れ
17時12分 1号機,2号機において、代替注水手段や防火水槽を用いた消防車の
使用について検討を開始
1号機については中央制御室の計器が電源喪失で使用できず、暗闇の原子炉建屋へ入る。
2号機についても代替注水ラインを構成するため暗闇の中、原子炉建屋とタービン建屋で
原子炉の冷却システムなどの弁を手動で開け、原子炉圧力の減圧後に注水可能な状態に
した
17時30分 原子力安全・保安院が官邸に緊急事態を報告
※東電の通報から45分後の報告だが規定では直ちに報告することになっている
保安院長 寺坂信昭: 現地の情報の確認や一連の手続きがあるので一定の時間は必要だ
18時12分 菅首相と各党との党首会談開始 ⇒海江田大臣との協議を中断
※党首会談後に協議を再開するもこの間のロスが発生
※結果、緊急事態発生から2時間以上経過後の宣言となる
当時の枝野長官の会見: くれぐれも落ち着いて対応するように。
原子炉そのものに問題があるわけではない。
原発事故に関しては迅速な意思決定を必要とするため、限られたメンバーにて小部屋で協議。
電源があれば冷却機能が回復できるとして、東電側が電源車の確保を国に要請。
菅首相も電源車の確保をすべてに優先させるよう命令
20時頃 この時、既に1号機にてメルトダウン(炉心融炉)に至ったとされている
(原子力安全・保安院が解析し6/6に発表)
21時過ぎ 最初の電源車が福島第一原発に到着
その後、茨城や新潟などから計50台以上の電源車が到着
※但し、ケーブルが届かない,接続口が合わないなど初歩的なトラブルが続出
その頃、電源喪失から6時間が経過した原子炉建屋において、
福島第一の技術者: 相当な被爆は免れない。思っていたより深刻だとそのあたりから怖くなってきた
22時頃 ようやく電源車との接続が一部で成功するも
原発の電気系統そのものが壊れていることが判明
※電源車が冷却に役に立たないことがこの時点でわかった
東電本店常務 小森: ショックだった。本当に危機的状況に入っていると思った
格納容器ベントを行い、消防設備により水の注入を優先させることを
官邸に助言
※ベント・・圧力が高まった格納容器から気体を抜いて圧力を下ること。
⇒圧力を下げることで水の注入でき、核燃料を冷却できる。