ROCK CD & DVD BUYER'S GUIDE III

一応、風景写真がメインです

福知山脱線事故より1年(3)

イメージ 1
上の写真は現場から離れて尼崎駅にもどり、帰りの電車待ちのときのもの。
現場に向かう途中は時雨れてましたが、気がついたら快晴になってました。
1年前のこの日も天気がよかった記憶があります。

10時半ごろだったので帰りの電車はガラガラ。
最後尾の車両は僕の貸し切り状態でした。

イメージ 2

改めて誰も居ないがらーんとした車両を見ていると、アルミ製の車両とはいえこの頑丈そうなものがぐちゃぐちゃになるほどの衝撃、またその恐ろしさたるやどれほどのもんだったろうとつくづく考えてしまいました。

イメージ 3



宝塚駅に戻ると、案の定、朝に行列だった記帳所も人気がなかったので、記帳させてもらうことに。
メッセージボードのほうも是非とボランティアの方に言われたのでそこにもメッセージを。
・・で帰ろうとすると、意外なところでマスコミに捕まってしまいました。

NHKですが・・」
まぁカメラもまわってないしいいかぁとそのままインタビューを受けました。
「今日は何故こちらに・・」「事故に遭った知人の方はいらっしゃるんでしょうか」などにはじまり、僕は直接この事故と密接な関係はないので大した返答はしなかったんですが、それでもいろいろ質問されてきます。
「この事故は当時どのようにして知られましたか?」

1年前の今日、僕は職場で仕事をしてました。部屋の隅っこの窓際、太陽が照りつけるぽかぽか陽気の中、仕事をしながらいつものようにヤフーのトピックスを見ていたら、事故のことが速報で出ていたわけです。
その速報から尋常ならぬ事態と知ったわけですが、こそこそネットを見ている立場上、同僚たちにそのことを告げるわけにもいかず、事故が気になって仕事も捗らない。とりあえず宝塚在住の先輩にだけ話したことを憶えております。

ちょうど僕がブログを始めた頃に起こった事故で、事故から暫くして書いた記事がヤフーニュースにも一時関連サイトとしてリンク付けられたこともあって、ドシロウトの立場でも意見のみならず、多少なりとも情報を発信できるということを知ったのもこの事故がきっかけです。
ブログを通して、現役運転士や車掌たちと口論になったり、事故に遭った方にTBをもらったりと、当事者の方たちと接することで、尚更この事故に感心をもったことなど、それらをかいつまんで記者に話しました。

僕も記者にとって何のネタにならんことを話してる自覚はあったので、何度も切り上げようとしたんですが、何故かこの記者が食い下がってきて次々に質問を。

「事故によって何か生活は変わりましたか?」
この記者さん、何故か僕が話したいことを次々と質問してくる。
これはこのブログで既に述べさせてもらってますが、大阪人ならではの「せっかち」。
僕は事故が起こるまでは移動に無駄な時間をかけるのを極度に嫌ったもんです。
乗り継ぎでうまくいかなかった時の落胆や相当たるもの。それを避けるためにホーム内を走りまくり、階段も二段飛ばしくらいで駆け上がってました。
そもそもこのような無意味な時間短縮の気質が今回の事故の遠因であることは明らか。
これは事故以来、改めております。

最後にこのブログのアドレスまで聞かれたんですが、さすがにわざわざマスコミの方に見てもらうほどのもんでもないでそれは遠慮させてもらいました。
ネット上でこの事故についての意見は述べさせてもらってますが、実際、人に対してそのことを口に出して話したことがなかったので、僕としても非常にスッキリした感があります。

さて1年を迎えるあたり、改めてこの事故に関していろいろ報道されました。
●カーブ進入時時速は115~117キロ
●遺族・負傷者でPTSDの方が多数
●事故調の最終報告書は来年3月の予定
など。

いろいろな最近の調査で当のJR職員自体が「JRの体質が改善されている」という意識がないらしく、これがもっとも懸念されるところ。

最後に改めて事故で亡くなった方々のご冥福を、また負傷された方々の心身とも一刻も早く回復されることを心からお祈りいたします。

イメージ 4
ボランティアの方が配られていたビラ