ブログ開設からの10年を振り返る④~福知山線脱線事故
今日は職場の送別会があって今しがたほろ酔い気分で福知山線に乗って帰宅したところです。
この事故は私が毎日目にする、そして偶に利用する地元の路線での事故で、他人事とは思えない非常に衝撃的な事故でした。
事故から数週間後の現場が落ち着いたであろうと思われた頃、私は献花をするためチャリで現場に向かいました。
既に事故で大破した先頭の3両は撤去されておりました。
とりあえず実家から借りたコンデジで現場のようすの写真を数枚撮り、このブログにアップしました。
それが以下の記事です。
※ちなみにわずか写真を1~2枚だけアップして10回以上に分けて記事にしている理由は当時のヤフーブログがアップするにも閲覧するにもめちゃくちゃ重く使い勝手がひどかったことによります。
既に落ち着いていたとはいえ、多くの死傷者が出た事故現場の写真を撮り、それをブログにアップすることには相当抵抗感がありましたが、これらの記事はヤフーニュースの「福知山脱線事故の関連サイト」としてリンク付けされました。
ブログ開設から間もないこの頃、記事を書いたところでブログ仲間と新着記事から数人来る程度だったんですが、そんなブログでもチェックしてくれる人がいて、こうやって日本で最も閲覧されるサイトにリンク付けされるんですから、やはりブログってのはいい加減なことは書けないものだということを当時再認識させられました。
この経験は私が今記事を書く際にも活かされていると思います。
このリンク付により、私の記事は事故の遺族の方や負傷者の方などにも閲覧されることとなりました。
そのうちのお一人が「遼さん」という方でした。
彼は私の記事にコメントを書いてくれ、ご自分のブログのアドレスを貼り付けていました。
そのブログを偶にですが私のほうが一方的に閲覧することに。「遼さん」という大学生(当時)は事故の際、4両目の車両に乗っていて負傷はしたものの、大きな怪我は免れました。
しかし、彼は自分が何故に助かったのかという自己嫌悪に陥り、重度のPTSDになってしまいます。
そして事故から3年半後、彼は自らの命を断ってしまいました。
それを暫くしてから知った私が書いた記事が以下です。
ある遺族の方は毎年桜の花が咲く風景を見ると4月25日が近づくことを気付かされ、非常につらい気持ちになると紙面にて吐露されていました。
亡くなった方はもちろんのこと、負傷された方、遺族の方など本当に多くの方の人生を変えてしまった事故です。
鉄道関係者のみならず、二度とこのような不幸な事故を起こさないと自覚するためにも4月25日のことは忘れてはなりません。
(2005/05/14)