ROCK CD & DVD BUYER'S GUIDE III

一応、風景写真がメインです

陸前高田市・薄れゆく街の記憶と残る米沢商会ビル

昨日、NHKスペシャルで「ふるさとの記憶をつなぐ」というのを放送してました。
番組では愛知の大学が取り組んでる活動を紹介。被災地の町並みを再現した1/500の色が付いてない真っ白模型をその地区ごとに持って行き、そこに住んでいた方々に自分が住んでいた家の屋根に色を塗ってもらったり、街の各ポイントなんかにおける思い出なんかを記すという試みです。

これが被災者の方々に非常に好評のようで、震災から2年経って薄れてきている街のようすなんかの記憶を辿るのに絶好の機会のようです。涙したりしながらも模型の誤りや追加のアイテムなんかをボランティアの学生さんに要望したりして、皆さんだいぶ興奮気味に模型を作りあげていってました。めちゃくちゃ手間暇がかかってると思われますが、ホンマ素晴らしいプロジェクトだと思います。



「復興曲線」なる調査において、震災直後から現在までの気持ちの浮き沈みを曲線グラフとして被災者の方々に書いてもらう調査をしているらしいのですが、それによると、被災直後に落ち込んだ気持ちは仮設住宅なんかへの入居する時点でだいぶ被災前の状態に戻りつつあったものの、震災から2年を経た最近になってまた大きく落ち込んでいる方が多いようです。被災直後よりも落ち込んでいるという方もおられます。

その原因のひとつが、自分が住んでいた街の記憶を辛うじて思い出させてくれる残ったビルなどの解体にあるというので、これは個人的に意外でした。
これら解体に際しては国から補助金が出ていたのですが、これが今年の3月までの期限だったらしく、この数ヶ月で一気に解体が進んだようです。

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去年の2012年3月に被災地を縦断した際に撮影した陸前高田市のようす。

震災から一年経った被災地に私が行った時も、がれきの撤去は相当進んでいたのですが、まだ家の基礎が残ってる所なんかはまだしも、それさえもなくなって撤去がどんどん進んでいる地区・・・つまり、そういう地区は延々と更地が広がっているわけですが、そこに実際に自分が立ってみても、かつてそこに町並みが広がっていたというのが全く想像できず、何とも不思議な感情になったことを憶えております。

しかし、当時はまだ鉄筋コンクリート製のビルなんかはどの地域でも残っておりました。
それが唯一、そこに町並みが広がっていたことを教えてくれていたのですが、それらも今年3月までに殆ど解体されてしまったようです。

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昨日のNHKスペシャルによると、被災後の陸前高田市のシンボリック的な存在であり、多くの住民の命を救ったことでも知られるスーパー「マイヤ」のこのビルも今は既に解体されて更地になっているようです。


街のあらゆるランドマークがなくなって一面更地になってしまった今、地元の住民の方さえ自分が今どこにいるのか、そこはかつてどのような街並みになっていたのかわからなくなりつつあるようで、それが精神的に相当なダメージとなっているようです。

私も阪神大震災で、かつて幼少時より10年以上住んでいた家(但し、震災時は既に別のところへ引っ越してました)が倒壊してなくなり、後日更地になったその跡地に行ってみたことがありました。現場で特別な感情は湧かなかったものの、それは私の場合は自分が住んでいた家以外の周辺の家屋や街並みはそのまま殆ど残ってて、自分が活動していた当時の街の風景や自分の住んでいた家を思い起こすのに何も苦労する必要がなかったからかもしれません。



さて、本当の一面更地になった現在の陸前高田市ですが、補助金の期限を過ぎた今でも残ってるビルがあり、それを番組でとりあげていました。「米沢ビル」という建物です。

昨年に私が撮った写真にも数枚写ってました。

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写真中央よりちょっと右にある3階建のビルが「米沢ビル」です。

このビルの持ち主である米沢祐一さんはご両親と弟さんとでビルにて会社を経営されてました。私は以前からこのビルと米沢さんのことを報道で知ってましたが、米沢さんは津波が押し寄せた当時、このビルの屋上に逃げて辛うじて助かりました。(ご両親と弟さんは避難所だったすぐ近くの市民会館に避難され亡くなっています)

街の記憶を思い起こさせてくれるこのビルを残して欲しいという要望なんかが地元の方からも多いらしく、米沢さんと米沢さんの奥さんも同じ思いを抱いているため現在も残しているんだそうです。
米沢さんにとってこの選択は金銭的に何のメリットもないはずで、被災後の大変な状況でこの「残す」という決断は尊いものですが、もちろん今後において米沢さんの都合によりこのビルを解体することがあっても誰も止めることがあってはなりません。仮に米沢さんの意に反してそれを地元の方が望むのであれば、自治体なんかが金銭面等でサポートすべきでしょう。

私個人的には各地域において津波を思い起こさせる、または街のシンボリック的な建物をいくつか残すべきと思うのですが、逆にそれが地元の方の精神的負担になる場合もあり、また維持費などの面もあって各被災地で難しい問題となりつつあるようです。


更地になった場所に建物を再建することもできず、予定として近場とはいえ別の高台などの住宅で生活することになるケースが多いようですが、一面更地になってしまった自分のふるさとに今後どれだけ思いをつなぎとめることができるか、非常に難しい状態だと言わざるを得ません。


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(2012/03/18 15:09) 左の建物が米沢ビル。屋上にちょっと突起している部分(煙突)がありますが、津波はその天辺(高さ14m)まで押し寄せ、米沢さんは煙突にしがみついて一日を過ごし、自衛隊ヘリに救助された。