石巻市:震災から一年(1)
小雨が降る中、松島の観光を朝のうちに切り上げてバスと電車を乗り継いで行った先が石巻市です。
当初の予定では是非とも大川小学校に行って献花をしたいところだったんですが、残念ながら交通の便でどうしても車なしでは厳しい状態でした。ちょうど今回石巻を訪れた日に大川小にて卒業式が行われたことをその晩の報道で知りました。遺族の方も多数出席されたとのことで悲しみは募るばかりだと察します。
大川小では未だ行方不明のままの児童がいまして、遺族であるお母さんがわざわざ免許を取得してバックホウを操作するなどして捜索が続けられていると聞きます。
さて、石巻についてですが、個人的には震災直後のようすを直接見た唯一の被災地ゆえに思い入れもあります。復興の様子は今後も定期的に行って追っていきたいところです。
石巻のとんでないがれきのようすは既に紹介しましたので、ここではそれ以外について。
がれきは一箇所に集められているため、だいぶ減っていますが、当然ながら未だ更地状態ゆえに「復興」には程遠い印象があるかもしれません。
ここに住んでおられた方々は集団移転となるんでしょうが、その跡地についてはどうなるんでしょうか?
石巻のようすを一年前と現在とで比較したいと思います。
上の2枚の写真は一年前(2011年4月中旬)のようす。旧北上川河口の中洲付近。
現在の様子は下になります。
とある企業がこの中瀬周辺の開発を兼ねて建てたという自由の女神像は未だ象徴かのごとく残っていました。
続いては市街地中心部らへんの移り変わりを。
上の写真が昨年4月のようす。
下が現在のようす。
同じく市街地の比較。
上の写真が昨年4月のようす。
下が現在のようす。
石巻駅近くの市街地の被災時のようすをもう一度ここで述べますと、沿岸部とこの市街地の間には小高い日和山(日和が丘)という丘陵地があるため、直接津波を受けたわけではなく、旧北上川を遡上した津波がその沿岸部である市街地にも浸水してきたかたちになります。
その高さは地元の方の話によると1m80ほどだったということで、この市街地にも船とかが流されてきたらしいです。多くの車なども市街地に流れこむなど、それらの衝撃で修復不可能なまで壊された建物も多数あり、現在は取り壊されて更地になった場所も多いです。
市街地の中でも旧北上川の近くになると被害は下のように甚大なものでした。