ROCK CD & DVD BUYER'S GUIDE III

一応、風景写真がメインです

気仙沼大島・津波火災の証言

先日、東北の震災から7年となりましたが、今回は震災から1年後に気仙沼に行った時に地元の方からお聞きした話を紹介します。

気仙沼には大島というその名の通りの大きな島があります。

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本土からすぐ近くにある島ですが陸続きではありません。
この島で私は12年3月に休暇村に泊まりまして、従業員の方からお話を聞きました。
そのお話の内容を中心に他から得た情報も織り交ぜて記述します。

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島で一番高い亀山(標高235m)のてっぺんからの眺望です。

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右側にある入り江がこの島の港になります。
島の言い伝えで大昔に津波で大島は3つに分断したことがあるといいます。
先の津波では3つの分断は免れたようですが、それでも一時は真っ二つに分断されたそうです。
港からそのまま上の写真の左の方向に分断したのかと思われます。

津波で大変な被害を受けたわけですが、大島を含む気仙沼市の場合は津波だけではありません。
ご存知のかたも多いでしょうが、その後大火災が発生します。

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亀山から気仙沼市街地を見た眺望(2012/03/19)

津波によりガレキが上の写真に写ってる海を埋め尽くすわけですが、海岸沿いの石油コンビナートが壊れ石油が海に流れ出ます。
がれきの中には家庭などのプロパンガスが大量に含まれていました。気仙沼では津波で14,000もの家屋が浸水被害を受けたといいますが、仮にその家屋のプロパンガスが流されたとなるととてつもない数であることが想像できます。

それらプロパンガスがガレキに揉まれてる間に破裂し、ガスが噴出してなにかの拍子で火花が散り火災が発生。海を埋め尽くしてるガレキと石油でまたたく間に本当に「火の海」と化します。
海に浮いてるプロパンが更に火で破裂、大島からでも次々プロパンが爆発する音が聴こえたといいます。

大島から見た場合、対岸である市街地側で火災が発生したわけですがこれがなんと海を伝ってドンドン大島に迫ってきます。
市街地と島の間に数百メートルの海があるにもかかわらず、これを跨いで火災がやってくるなど誰も想像できない事態です。

その時は既に日も暮れてます。
私に語ってくれた地元の方はじめ大島の一部の人々は暗い中を亀山のてっぺんまで避難するわけですが、とうとう大島にまで火の海は着岸、島内でも火災が発生します。

火は木々を伝って亀山の麓からてっぺんへ向かいます。
真っ暗な夜、しかも雪が舞う寒い中、これ以上逃げ場もない頂上へ避難された方たちの恐怖と不安はとてつもなかったと思われます。

しかし、幸いなことに皆さんが避難されたてっぺん近くで火は沈下しました。

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亀山の麓と頂上を結ぶリフトも焼かれ、以降現在も営業停止のままです。

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亀山の頂上近くにあった木の幹は根元が燃えてました。
海から200メートル以上の高さのここまで火は到達したようです。
頂上周辺は燃やすものがなかったということでしょうか。ともあれ、沈下して本当に良かったです。

東北の津波は人知を越えた恐ろしい事態をあちこちで発生させましたが、これは東京でも大阪でも海に囲まれた日本の至るところで起こり得る災害だということを忘れてはいけません。

来年春には大島と本土とで橋が架かるとのことで、気仙沼大島が更に発展することを心から祈っております。

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気仙沼大島にて(2012/03/19 05:54)