引祝い・宮川町舞妓とし桃~花街行事での5年
2013年3月、「東山花灯路」で舞妓さんと一緒に撮影ができるというイベントが当時行なわれていました。
舞台を降りる際にとし純さんに語りかけるとし桃さん。左はふく苗さん。
京都には風景撮影でしょっちゅう行っていたものの、芸舞妓さんには全然興味なかった私ですが、そのイベント会場を通り過ぎようとした際に偶々ある舞妓さんを見かけたわけです。
宮川町駒屋の舞妓、とし桃さんです。
それまであまり舞妓さんをちゃんと見たことがなかったのですが、とし桃さんの日本人形のようなおぼこさに結構な枚数のシャッターを切ってしまいました。
とし桃さんの見世だしは2012年2月22日といいますから、この時、既に花街に来られてから1年以上が経ってたようですが、まだまだあどけない感じの舞妓さんでした。
この行事に協力される舞妓さんは日替わりだったので、偶々とし桃さんが出られている日に遭遇したのはラッキーでした。
改めて当時の写真を全部チェックしてみると、上のように芸妓かと思わせるような表情の写真も。
(2013/03/15)
ということで、2017年8月22日に引退されたとし桃さんは舞妓として5年半活動されました。
そのうちの4年半ほどの間ではありますが、いくつかの行事でのお姿を捉えた写真を今回改めて現像し直してアップいたします。
つづいて、節分祭の奉納舞踊。
(2015/02/02)
つづいて、東山花灯路の奉納舞踊。
表現はおかしいでしょうが、この頃からとし桃さんの舞に対して、「かっこいい」と思うようになりました。
この方の舞をされてる時の表情は凛としていて、舞踊のことは分からない私ですが、何か魅せられるものがありました。
この時は見世出しから間もないとし恵美さんと。
踊りが終わると表情を崩し、共演している先輩や後輩に対していつも積極的に話しかけて場を和ませる姿も印象的でした。
駒屋のとし姉妹のみなさんと。
それにしても、多くの舞妓さんがいる宮川町にて、とし桃さんがこれだけ行事の舞台に上がる機会を与えられたのは何故でしょうか?
私はやはり、とし桃さんの舞が素晴らしいがゆえの抜擢だと勝手に想像しております。
左は千賀遥さん。
そして、2017年の八朔です。
最後にとし桃さんを撮影した1枚です。
(2017/08/01)
とし桃さんのおかげで花街の文化や歴史、魅力を知るきっかけになりました。本当に感謝しております。
覚悟を持ってして飛び込んでも、多くの女の子は途中で辞めていくという厳しい世界の中で、仕込み時代を含め6年半も務め上げるということは並大抵のことではないとお察しします。
濃密だったであろう花街での経験を糧にして、今後の長い余生においても幸多きものであることを心から祈っております。
とし桃さん、長い間お疲れ様でした!