ROCK CD & DVD BUYER'S GUIDE III

一応、風景写真がメインです

神戸北野(3)・風見鶏の館Ⅱ


さて、昭和52年に新井春美をヒロインに迎えて放送された朝の連続ドラマ「風見鶏」。
Wikiによると、そのストーリーは「明治時代に国際結婚した女性が、神戸市でパン屋を営み、やがて多くの外国人に慕われていくまでを、国際色豊かに描く」というものらしい。
現在低迷している朝の連ドラだが、この「風見鶏」は平均視聴率は38.3%、最高視聴率は48.2%だったとのこと。

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このヒットドラマで一躍「異人館ブーム」が巻き起こり、各メディアに取り上げられることになるんだが、これが思わぬ展開を生む。

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当時の神戸のポスター。「風見鶏」と新井春美。

ドラマが放送開始した年の年末、フランクフルトの邸宅に住む一人の老婦人が、朝日新聞の記事で”神戸の山手にある旧トーマス邸”がNHKの連続ドラマで一躍有名になり神戸市が買い上げの計画をしていることを知る。

その夫人の名は「エルゼ・ガルボー」といい、幼少期にこの館から逃げるようにして日本を去ったエルゼちゃんその人だった。
ガルボー夫人はその館が自分が住んでいたものではないかとドイツのマスコミに問い合わせ、それがまた日本でも報道されて神戸市サイドの耳に入り、元住人であったエルゼちゃんであることを確認するに至る。


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この館の所有者は転々としていたが、このドラマのヒットを機にか神戸市は館を買い上げて一般公開をすることに踏み切るが、ガルボー夫人よりマスコミの記者を通じ市長に「かつての家をもう一度みたい。異人館ギャラリーのようなものになるのなら、その式典にぜひ参加したい」という便りを送った。

式典には参加できなかったものの、昭和54年春についにガルボー夫人が来日。歓迎レセプションが風見鶏の館にて行われた。

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来日当時のガルボー夫人。

レセプションでガルボー夫人は
「自分の祖国はドイツだけれども、私の故郷は神戸なのです」
と語っている。
ガルボー夫人は式後に神戸の幼なじみとも再会でき、数十年ぶりの「里帰り」を堪能された。

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家具などの数々も実はガルボー夫人から寄贈されたもので、この館で使われていたもの。
阪神大震災でこの館も大きなダメージを受けたものの、修繕を経て今もエルゼちゃんが過ごしていた頃の館の様子を伝えております。

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では最後にNHK連続ドラマ「風見鶏」の脚本をした杉山義法氏が語った「風見鶏の館」について転記ししときます。

神戸の街で印象的だったのが、異人館の屋根の上で港から吹いてくる風に向かって毅然とたっている風見鶏でした。
風見鶏の由来は中世のヨーロッパで、雄鶏が警戒心の強い事から魔よけとして教会の尖塔につけられたのがはじまりだったそうです。
その風見鶏を神戸で見たとき、これをただの風習や装飾とは思いたくなかったのです。
明治の初めに祖国を遠く離れて極東のこの島国に住みついた異人さんたちは、いつも世界の風を気にしながら生きている自分たちの姿を風見鶏に託したかったのではないでしょうか。
それは彼らと結婚した日本人の妻達にとっても同じだったでしょう。
いち早くそして真っ向から世界の風を受けてたくましく生き抜いた彼女達もまた日本の風見鶏だったに違いありません。


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