アメリカの「原爆投下という戦争犯罪」を問う
霊なんてものを未だに信じてるおかしな人が偶にいますが、そんなものが存在していたら私の人生観や価値観は180度変わるだろうし、できればあってほしいものではありますが、残念ながらまずほぼ100%ありません。
霊を語る人間は、「ここでは女性が無念の自殺を遂げた場所で・・」とか「死んだという自覚がない男性の地縛霊が・・」とか抜かすわけですが、そんな理由で「霊」ってなおもろいものが「発生」するなら、この広島市は何万の地縛霊が発生するんだって話です。
自分の身に何が起こったのかわからないまま一瞬にして亡くなった方がどれだけ多いことか、即死を免れたものの地獄のような苦しみを味わいながら亡くなった方がどれだけ多いことか。
世界中探しても、人類史上においても広島以上の場所はありません。
その非人道的な方法で殺された方々に、もし「霊」となる手段があるとするならば、是非我々の前に現れて、せめてその苦しみや悲しみを投げかけてほしいものですが、平和記念公園で突出して霊と遭遇するというような話は聞いたことがありません。
悲しいかなそんな手段はないのです。
非常にモダンでしっかりとした建物で、こんなのが大正時代からあった広島市はやはり戦前から相当発展した街だったのでしょう。
そのような大きな都市で民間人も多く住む街の中心部にアメリカは核爆弾を投下したわけです。
先の太平洋戦争においては、日本には加害者としての立場があることは私も重々承知しており、そこは日本人としては反省せねばならないことですが、加害者の面があるからといって、こちらが受けた非人道的な殺戮を全て受け入れるというのは全く理解のできない話です。
しかし、日本人は戦後、事実上そのような言動をとってきているのです。
例えば、昭和天皇。
この人の英断で日本は「本土玉砕」ってなとんでもないアホな行為から回避できたといえますが、彼がもっとマトモであれば少なくとも広島と長崎の原爆投下を避けれる立場にあったのも事実です。
そういう立場であった彼は1975年10月31日の公式の会見でとんでもないことを発言しております。
ホンマ、アホ丸出しの信じられん発言です。
しかし、昭和天皇が特別負け犬根性の変な思想の持ち主ということではなく、ずっと日本人にはこれに似た考えが根底にあったと思わざるを得ません。
原爆投下時に小学生くらいの子供だった方々も今や70代半ば以上になりつつあります。
彼らに謝罪の言葉を聞かせることは無理なことでしょうか。
未だに「原爆投下は正しかった」と多くのアメリカ人が認識しているらしいですが、彼らの倫理観は所詮そんなもんです。
そんな国の言うことになんでも「ハイハイ」と言いなりにやってきたこれまでの日本の政治家ですが、本当に変わらなければなりません。
来年は終戦から70年、もう我々もそろそろ「敗戦国根性」から脱却すべき時です。