靖國神社は過去の戦争に真摯に対峙しているのか
関西に住む私は靖國神社に行く機会がこれまでなかったのですが、先日の秋の例大祭で初めて参拝しました。
私はこれまでの靖國に関する報道を通じて、靖國神社を運営している側について、どうも腑に落ちない部分があったのですが、今回の参拝で改めてそれを認識した次第です。
青山氏は完全な保守側の立場の人で、彼は是非とも安倍首相には靖國に参拝してもらいたいと常日頃主張し、安倍さんとも頻繁に会う立場にあるので本人にも直接語っていると思われます。
そんな彼が「総理の参拝する・しない」だけではなく、靖國には大事な問題点があるというので私としても非常に興味深く耳を傾けました。
まず1つ目は靖國神社が「私営」だということ。
世界各国には自国の戦没者を弔う施設があるものの、ドイツなど一部を除きその殆どが公営。
なぜに日本だけが私営なのか。敗戦した日本は私営でなければならないのか。
私営であるための問題点は当然ながらあくまで「ワタクシ」であるため、我々国民の意見が反映されないということ。
次に挙げる二つの問題点についても、「私営」であるために靖國に対して改善を強く求めれないということになります。
2つ目。
西郷隆盛が合祀されていないということ。
これは「亡くなれば皆平等で日本のために戦って亡くなった方は合祀する」という靖國の理念に反するもので(この理念に基づきA級戦犯の合祀したはず)、その基準が運営する側の価値判断で曖昧になっているという点。
以上の2つについては保守でもない私は知らない事実もあり「ほぉ~~」と聞いていたですが、重要なのは最後の3つ目です。
これが意外にも私の「腑に落ちない点」を代弁してくれるものでありました。
「遊就館に”戦争に負けた理由”を展示しなくてもいいのか」という点です。
しかし、先の太平洋戦争では大勢の日本人の犠牲者を出し、また諸外国の人々にも犠牲を出したにも関わらず、結局は無条件降伏の敗戦に至ったわけですが、その理由を検証している文言や資料が全く見当たらない。
ここからは青山氏の意見ではなく私の意見を述べます。
遊就館や神社の境内では人間魚雷の「回天」や特攻隊で亡くなられた方々の遺書が多く展示されております。
我々日本人の諸先輩方が自分の家族や日本のためを思い、敢えてご自分の命を犠牲にした行為を称えるのは当然ですが、なぜそこまで追い込まれるような戦局になってしまったのか、そもそも10代や20歳そこそこの若い青少年たちに特攻させる無謀な戦術が正しいといえるのか。
もし、一年でも早く終わらせておけば、多くの日本人が地獄を見ることもなく、また多くの命が助かったのは改めて言うまでもない。
遊就館には戦争開始前の石油や鋼鉄などの資源の輸入先をグラフにしたものが展示されております。
その多くの輸入先はアメリカです。それを相手に戦争をしかけるのであれば短期決戦でなければならないのは明白。各資源の戦争開始前の備蓄量も記されておりますが、4年もの長期に渡って戦う体力などあるはずもない。
先の大戦時の指導者は自分たちの都合の悪いデータは全て目をつぶり、常に重要な局面で楽観論。挙句の果ては緻密な戦術論どころか「精神論」を持ちだす始末。
検証すれば検証するほど、如何に無謀な戦争だったかは自ずと判明するもので、その検証資料を展示しないというのは先の大戦の指導者たちと同じく、「臭いものには蓋」と同じ行為ではないのか。
特攻隊を英雄視するのみではなく、なぜそのような悲劇を生み出したかを検証をし、反省をせねばまた同じ過ちを繰り返す事になりかねない。
青山氏がこの靖國の問題を取り上げるにあたり、事前に靖國側に電話を入れたそうです。
その神主さんは負けた理由を展示していないことを認めた上で、その展示については「今後考えたい」と話したとのこと。
今の展示内容のままでは私は二度と遊就館に800円も出して入館しようとは思わない。
靖國神社を運営する側が早期に過去の戦争に対峙することを望むばかりです。