ドラマ「半沢直樹」と日本の銀行マンの存在意義
例えば、個人融資の場合。
今や日本で働く者の4割ほどは非正規雇用であるのはご存知のとおり。
銀行員があなたに擦り寄ってきて融資話を持ちかけてきたとします。・・が、あなたはその時、正社員ではない。「私(もしくは世帯主)は今、アルバイト(もしくはパート、派遣社員)ですけど」と言った途端、銀行員は顔が引きつり、すぐさまそそくさとその話はなかったことにするでしょう。
いくら有能で仕事ができ、それなりに収入があったとしても、非正規では銀行からの住宅ローンなどの融資は審査にすらかけらない。
確かに上場企業なんかの社員だと身分は安定しているが、パナソニックやシャープなんかをみてもわかるように一寸先は闇。能力のない人間は正社員とはいえ、明日はどうなるかわからない。そもそも会社すら消える可能性すらある。
でも、個人の能力がどうのこうのはとか人柄とかそんなのは融資の対象としては関係ない。銀行は正規/非正規でまずはふるいをかけるのです。
※ちなみに住宅ローンの場合、住宅金融支援機構は非正規でも審査の申し込みは可能
企業融資の場合。
独立の際に融資してもらおうと都市銀行に掛け合ったものの、彼らはパソコンで必要なデータをパパパッと入力して即断。ハナにもかけてもらえなかったという。
銀行(特に都市銀行)というのは経営者や従業員・・・つまり人間、企業そのもののが持つ本質をみようともせず、リスク回避の根拠として数字を照らしあわせているだけ。安全牌にしか融資をせず、ゆうちょ銀行と同様、単に国債を買うしか能がなく(こんなものに能力などいりませんが)、社会においての貢献度が著しく低いというのが私の見解(もしくは偏見)であります。
さて、先週からTBSで始まった日曜劇場の「半沢直樹」です。
この経営者が半沢に以下のように罵る場面が。
「銀行は晴れた日に傘を貸して、雨の日に取り上げる。弱いものから金を奪い取って金儲けしているお前らが偉そうなことを言えるのか」
半沢は昔、入行式にて同期入行の渡真利と近藤とで、どういうポジションを狙っているかを語り合っていた際、二人が語るポジションより「もっと上を目指す」と返答する。その「もっと上」を二人は「頭取」を意味するものと捉えたが半沢には全く別の意味があった。
その銀行こそ、合併前の半沢が現在勤める都市銀であり、入行目的がその「復讐」であるかのように視聴者を推察させる。
5億円融資の焦げ付きは支店長の「出世と名誉」のための強引な無担保の貸付で完全な「支店長マター」であったにも関わらず、支店長含む上層部は全て半沢に責任をなすりつけようと策略。
東京本店にて、責任の所在を明らかにするための「聞き取り調査」が開かれることになり、同僚の渡真利(及川光博)は策略による責任の押し付けから逃げることは不可能であるため、キズを浅くするために平謝りするよう半沢を諭す。
・・・が、
半沢は丁寧に謝罪を始めるものの、「責任の一端」と言い出す。
当然、調査メンバーはその「一端」にひっかかる。メンバーも支店長の息がかかっており全員グル。しかも、そのメンバーの中には入行式で語り合い同期でトップクラスだった近藤をパワハラで病気に追い込んだ男が含まれていた。
(同僚は病気を克服するものの、結局は出向という名の左遷で、銀行マンとしての最大の屈辱の身となった)
半沢を問い詰める上層部の調査メンバー。
しかし、半沢は怒涛の切り返しでメンバーを圧倒し、
「私は必ず5億を回収する。二度と邪魔しないでいただきたい」と啖呵を切って部屋を出て行く。
長回しかと思われるこのシーン、堺の演技と脚本、カメラワークが圧巻。
ネット上は行員たちが「有りえない」とかいう意見もあるようですが、非常に信ぴょう性のある描写もあるようでして、何よりも銀行マンとしての存在意義を改めて再認識してもらうために、日本の全行員はこのドラマを見るべきでしょう。
行員でない人も非常に勉強になるし、「やられたらやり返す。倍返しだ」(半沢の決め台詞w)と痛快な復讐劇(?)のドラマとしてもおもろいので絶対に見る価値あり。
それにしても第一話はCM抜きで約92分。無駄なシーンがないめちゃくちゃ中身の濃いものでした。
(第一話視聴率:19.4%)
「ガリレオ」や「35歳の高校生」なんかで日本のドラマにうんざりしてた人たちも満足するはずです。