ROCK CD & DVD BUYER'S GUIDE III

一応、風景写真がメインです

【追悼】マイケル・ジャクソンの功績(3)

もう連日マイケルのニュースだらけ。
ネバーランドでの葬儀がなくなったとニュースが出たと思ったら、次は遺言書の公開。
亡くなる2日前の写真も先日公開されていたが、体重は50キロ程度に落ちていたという話もあって、いくら元々華奢だったとはいえ、それが本当ならマイケルの身長からして痩せすぎで、さすがに過酷であろうステージのリハーサルをするには厳しいもんがある。
そもそも専属の医者が付きっ切りだったにも関わらず死に至る羽目になったってのが不可解で、MJも安らかに眠りにつきたいところだろうが、世界最大のスーパースターゆえなかなかそうはさせてくれんでしょうな。

さて、締めくくりにワタクシ個人のMJの思い出を。
MJが「Thriller」を出した年が実はちょうど洋楽を聴き始めたときで、それまで「くたばっちまえ あ~~めん♪」のウェディングベル(シュガー)のラジオ放送なんかを録音してたようなガキンチョにはホンマ衝撃的だった。
日本の数十年先をいくこれらの音楽に触れて以来、邦楽は10年以上一切聴かなくなってしまった。

80年代の音楽を「中身がない」と酷評する大物音楽評論家もおるが、「グラミー賞」が日本でもゴールデンタイムで放送されていたこの時期は米英の音楽業界がこれまでで最も華やかで、世界中の多くが注目した時代だったという点は間違いない。その先頭をブッちぎってたのがMJだった。

MJはJapan Tourとして87年にウチの近所の西宮球場でもライブをすることになるわけだが、こんなもん親のスネかじってる貧乏人の学生では到底チケットを手に入れるのは無理。
特に悔しがるわけでもなく、そんなことは忘れてある晩テレビを見ていたら、窓の外からやたら大きな音が聴こえてくる。ベランダに出て音に耳を澄ますと、なんとマイケルの曲!!
・・そう、うちから武庫川という2級河川を挟んだとなりの市にある西宮球場からのMJのライブの爆音が直離で4キロはあろうという距離にも関わらず、「何の曲をやっているか」が分かるくらいクリアに聴こえてきたのだった!
アル意味、MJの生の音が聴けたわけで、ホンマ感慨ひとしおだった。

さてさて、ホンマの〆はマイケルの最後のツアー、92年の「The Dangerous Tour」からのオープニングを。
オープニングというか、MJの登場の仕方からしてホンマとんでもないです。
MJにしかできない「タメ」です。
ワタクシが先日ようつべにアップしたもので、是非ご覧あれ。ダンスの切れはいうまでもない。
※但し、口パクです。・・が、もうそんなのはどうでもいいくらい。



彼は自分が抱えるさまざまなストレスを自分の音楽活動にぶつけてきたと個人的には感じとるんですが、その音楽活動ができなかった上に、病気,裁判,金策などが圧し掛かったこの10年あまり。
スターならではの孤立のなか、その心痛幾ばくかと。
久々のライブに向けてのリハーサル中に亡くなったということで、死の直前は「幸せを感じていた」と思いたい。

おわり

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