ROCK CD & DVD BUYER'S GUIDE III

一応、風景写真がメインです

部落差別を知ってますか(2)

さて、部落差別問題の教育に非常に熱心な僕の小学校であったが、とある日、部落の現状を見せるために我々学年全員を校区内の部落地区へ見学として連れて行った。80年代に入った直後の話である。

その部落地区から相当離れたところに住んでいた僕も大体の場所は知っていたがその現状を詳しくは知らなかった。
やはりなんとなく暗い雰囲気の場所であった。
治安が悪いという理由で夜は市バスすらコースを変えてその地域を通るのを避けたと記憶している。

部落地区は、例えば日中殆ど日が当たらない場所(例えば山間部など)なんかに江戸時代において設置されたと聞く。つまり土地として価値が低いところだ。
僕の育った街は全くの平地なのでそのような箇所はないが、担任教師の説明によると、その訪れた部落地域はなだらかな窪地になっているという。
現地で見た感じではわからない程度なのだが、周辺の土地より低いらしく、わずかの降雨でも周辺から水が流れ込み、その地域は浸水が多発しているというのだ。大雨とかでなく、普通の降雨でそうなると説明した。
浸水など経験したことも実際見たこともない僕は、わずか数キロ離れた地域でその土地の形状、インフラの遅れでそのような状態であることに驚愕した。

廃屋に近い家が立ち並んでいた。家によっては藁ぶき屋根みたいなものもあった(既に空き家だったと思われるが)。地方の田園風景で立派な藁葺き屋根の家屋が今でも見受けられるが、そういうものとは当然違う。その生活レベルが屋根に現れている印象を受けた。

水道すら数年前まで(つまり70年代中頃)きてなかったという。井戸水を使ってたようだ。地方でそのような地域や家庭はいくらでもあるが、うちの街のような住宅街、しかも工場などの公害で問題になってるようなとこで、井戸水なんてのは明らかにおかしい。それが差別なのか特殊な事情があるのか知らないが、担任からはこれが差別の現状だと教えられた。

四半世紀前とはいえ、わずか25年ほど前でそのような現状があった。
・・がわずかその後数年で、というか既にその頃から国の補助を受けながら市は街の整備を大規模にすすめていく。

その古びた家は次々と撤去され、その跡地には高層住宅が次々と建ち、住民は安い家賃で無条件に移り住んでいった。
こんなことを言うと語弊があるかもしれないが、当時汚い文化住宅に住んでいた僕なんかは真新しい高層住宅に移り住む彼らを羨ましく思ったほどだ。

最近、その周辺地域を通ってみたが、見違えるように明るい地域に変貌していた。
これが同和対策事業の一環である。


※表現に問題がある、もしくは事実と異なる点があればご指摘ください。書いてる本人、特別部落問題に詳しいわけでもなく、薄ら覚えで書いてますので。